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 文 月 会

ごあいさつ

文月会会長 菊池利夫(榊原サピアタワークリニック・D49)
 

このたび前会長の高木敏之先生 (D42) の後を引継ぎ会長を勤めさせていただくことになりました。浅学菲才の身ではありますが、文月会の発展に少しでもお役にたてるよう努力していきたいと思いますので、宜しくお願いします。

高木前会長は若手のリクルートに力を注ぎましたが、これを継続しておこなっていきたいと思います。というのも、卒後の初期研修の義務化以来、東京を中心とした首都圏で研修を受ける卒業生が増えているからであります。平成20年は卒業生94名中37名にも及んでおります (静岡、長野、山梨を含む)。今後もこの傾向は続くであろうと思われます。

私は、母校・新潟大を離れ、右も左もわからぬ首都圏の地で、頼る先輩もいない環境の中で医師生活をスタートさせる後輩たちに、少しでも不安の解消に役立てばと思い (首都圏にはたくさんの先輩がいて君たちをバックアップするから心配するな・・)、卒業式の際 (学士会入会の際) に文月会の存在をアナウンスしてほしい旨、お願いをしたことがあります。そうしたところ、学士会会長から同窓会誌に文月会のことを書くようにとの返事が来て、文月会の紹介文を書かせていだたきました (学士会会報 79: 33, 2003年)。その後、私の文章を読んだ文月会創始者の荻野洋一先生 (D24) が「文月会発足の経緯とこの会が目指したこと − 文月会発足25周年を記念して」と題した文章を寄せ (学士会会報 80: 15-18, 2003年)、文月会の存在が知られるようになりました。

文月会は、昭和53年 (1978年) に新潟大学出身者で「首都圏の大学に勤務する講師以上または大病院(基幹病院)の部長以上」を会員資格として発足しました。文月会の名の謂 (いわ) れは、会合が7月 (文月) に行われることが多かったためとされております。

平成14年 (2002年)、数多くの若手にも門戸を開いて学術交流の場を広げるために、高木前会長の提案で講師、部長以上の会員資格制限を取り払いました。すなわち、首都圏の大学、病院、研究所などで修練、活躍の場を求めて切磋琢磨しているすべての学士会会員は、文月会会員であるということに致しました。

平成18年(2006年)1月には吉井光信先生 (D47) を編集長として「文月会誌」第1号が刊行され、学術交流の場が更に広がり、質も深みを増しました。

私は交流の場が更に深まるべく会員のデータベース作りを行いたいと思っています。勤務先、専門科目のほか、更に細分化した得意科目、研究テーマ、診療日、手術日・・・。会員が具体的にどういうことをしているのか、そういうデータベースがあればいいなと考えています。それによって交流、情報交換などが益々スムースに行くのではないかと思っております。会員の皆様のご協力をお願いする次第であります。

さて、文月会の中には、バイオベンチャーを立ち上げた会員もいます。仕事上、医療だけに携わっている場合と異なり、薬学、化学、金融関係・・・異なる業種の人たちともかかわりを持たなければなりません。異業種との交流はそれぞれ専門の領域の仕事に幅や広がりをもたらすことが多々あります。幸い新潟大学は、文系・理系・医歯学系を有する総合大学であり、首都圏にはそれぞれの分野、職域でポジションを得ている各学部の卒業生が数多くおり、30年以上も前から全学部の首都圏同窓会が結成されております。文月会としても首都圏同窓会との交流、連携を深めていきたいと思います。

また、新潟大学の国立大学法人化に伴い、首都圏における新潟大学の各種情報発信・収集、産学官連携推進などの基地として,東京事務所が田町駅そばのキャンパスイノベーションセンター (CIC) に開設されました。文月会はこの東京事務所とも連携をはかり、交流の場を広げていきたいと思っています。

文月会は,首都圏において志を持って自己研鑽を積む学士会会員の学術交流と親睦・情報交換の場です。多くの若手会員の参加をお待ちしております。また、諸先輩の益々のご支援を願っております。