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ホメオトシス
ラ・マンチャ通信
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  自負/自戒/虚栄/異端/悔恨/...../そして和解?
中島丈夫のホメオトシス
ホメオトシスは勝手な造語です。寂しい話しですが、誰にも褒めてもらえないので(...)、今も昔も自分で自分を褒めることしかできないのです。その心模様が落とし穴になりがちです。”褒め落とし”の自己責任版です。解かってはいるのですが、心が定期的に暴れるのです。いっそ心の端々まで透明で他人に見えることが出来れば楽なのですが。個とはどういうせめぎ合いの末に出来上がった何のためのバリアーなのでしょうか。
いずれにしてもこのサイト全体が、モノローグの置き場であり、荒魂に対する鎮魂歌なのです。



大空を自由に飛び回ったことがありますか?

2011年01月15日 中島丈夫 再掲


これは、2009年9月14日の、哲学への憧憬のスレッドの再掲です
新しく絵コンテを付加しました。
 
 
 
 
 加藤登紀子さんの歌に、人は誰でも空を飛びたがる、どうしてだろう、という歌があります。
また”千の風になって”という素晴らしい歌もあります。どちらも好きな歌です。 
”翼をください”、という歌も大好きです。

 小生は空を飛んだことがあります。ほぼ毎晩飛んでいた日々がありました。
もっとも、夢の中でのことです。 でも夢の中と言えども空を飛ぶのは難しいものです。
小生の飛ぶ範囲は故郷の家の前の大通りの小さな空間です。
飛び回るというよりは、ヒバリのように、垂直に上に向かって飛び上がるだけ。 小さい頃よく見たような、道筋を矢のように飛びぬけては行きかうツバメのようには飛び回れませんでした。

 うまく飛び上がっても、何故か大屋根の上に待ち構える電線にひっかりそうになって、どうしてもそれ以上うえには舞いあがれなかったのです。
どうもその理由は、小生の経験した視界がそこまでの範囲にしか及んでいなかったからのようです。
当時は毎日毎日、大屋根によじ登っては眼下の大通りを眺めまわしていました。
行きかう人々の中に偶然知人の自転車姿などを見つけたりすると、無性に人恋しくもなりました。
隣家は親類の家だったので、屋根伝いに徘徊したりは常のことでした。急に出没してお爺さんの度肝を抜いたこともあります。 

 一方で、そのころの小生は、アマチュア無線に嵌まりかけていて、中屋根の物干し台に大きな竹の棒でアンテナを張ったりしていました。
有る日、うまく張れたアンテナを満足げに見上げながらふと物干し台の手すりに身を預けたことがあります。既に物干し台としては使われなくなっていた手すりは腐っていて、小生は一瞬のうちに庭に墜落していました。
それ以来、どうも小生は変人の類に分類されるようになったようにも思います。
それにしても、その大事な瞬間に空を飛ぶことはできませんでした。事前の準備が必要なのです。

 大空を飛翔するには、先ず空に向かってうまく離陸しなければなりません。
少し身をかがめて弾みをつけながら、下腹に力を込めて一気に前方に飛び上がります。
その時の力の入れ具合で、飛びあがれないことの方が確率的には遥かに多かったように思います。
失速しそうになると、さらに下腹に力を込める。とにかく懸命に、前身の全ての力を集中する。そのうちにうまく飛び上がるコツが飲み込めました。
空中に飛翔できた時の爽快感は、この世のものとは思えない充足感にも満ちていました。

 話が飛びますが、社会人になってから、お客様の優秀なシステム開発者の方が、休暇明けに首に包帯を厚く巻き着けて出社されてきました。
包帯を取った彼の頸筋をみて小生は度肝を抜かれました。まさにマカロニ・ウェスタンの鮮烈さで、紫色に太く水膨れで腫れあがった縛り首の痕跡がそこにありました。
実は彼は年甲斐もなく(?)ハングライダーに挑戦して、斜面を転がり落ちたのだそうです。
このように、飛び出しの技術は大変困難で、経験と練れた技術が必須なのです。

 今、ふと気付きましたが、この感覚は、足の指先に渾身の力を込めて前方に飛び出す飛び込み台のテクニックと同じものです。
飛び込み台といっても、オリンピック・スポーツのそれではなく、やはり故郷の淡路島の海水浴場での櫓からの飛び込みです。
比較的大きな飛び込み台の櫓が、泳ぎの未熟なチビスケ達の手の届かない沖合に鎮座していました。
その櫓のてっぺんの狭い踏み台の空間を、成りあがりの牢名主のように一日中ふんぞり返りながら占拠し、それにも飽きればスックと胸を大きく張って空中に飛翔する。
真っ青な大空と、ムキムキの積乱雲に向かって飛び出し、そして紺碧の海に刺さり落ちる。

 そんな小生は今や真正の高所恐怖症です。
少しでも足場に不安が生じると、恥ずかしいことに足はわななき身体は縮み上がります。 
こうなった原因は自分自身で承知しています。
 高校生の終わりの夏、重量挙げの部室の鍵が手に入らなかったために、無謀にも、体育館内に作られた部室間を仕切る不安定でかなりの高さの仕切り壁の上を、部室から部室へと這いずりながら突破しょうとしていました。そしてふと突然、着地の不安を意識した瞬間に、小生は前にも後ろにも動けなくなってしまいました。絶対的な恐怖心と絶望感で小生はナメクジのように細い仕切り壁の上にしがみついていました。
その日いらい空を自由に飛ぶ夢を見ることができなくなってしまいました。
今でも、いくら下腹に渾身の力をこめても、哀しいかな、このメタボの体はビクともしません。

飛び立つ勇気と技術は大変重要ですが、着地の不安に怯えた時、人は空を飛べなくなるようです。

 




 

誇りと癒しによる気の流れの再生の方法として、
鏡の中の世界に遊ぶ術もあります。
小生は、それをホメオトシスと称しています。
 

鏡の中の、遥かなる夢の彼方のイメージです。
海と太陽の土地、淡路島の思い出です。
この小生の写真は無修正です
昔は、マッチョだったのです。。。。。
今は超メタボで、見る影もありません。
だから、ホメオトシスなのです