Loading
ホメオトシス
ラ・マンチャ通信
お問い合わせ
 
 自負/自戒/虚栄/異端/悔恨/...../そして和解?
中島丈夫のホメオトシス
ホメオトシスは勝手な造語です。寂しい話しですが、誰にも褒めてもらえないので(...)、今も昔も自分で自分を褒めることしかできないのです。その心模様が落とし穴になりがちです。”褒め落とし”の自己責任版です。解かってはいるのですが、心が定期的に暴れるのです。いっそ心の端々まで透明で他人に見えることが出来れば楽なのですが。個とはどういうせめぎ合いの末に出来上がった何のためのバリアーなのでしょうか。
いずれにしてもこのサイト全体が、モノローグの置き場であり、荒魂に対する鎮魂歌なのです。



司馬小説で鼓舞される誇りと高揚感よりも、山手樹一郎の癒しの世界が恋しい

2011年03月25日記述


 2011年3月11日、大変な事が起こってしまいました。
その日以来、小生のブログはストップしたままです。
何しろ、震災の爪痕に怯え、福島原発の”想定外”の言葉に怒りを噛みしめながらTVに釘づけの毎日です。
また、白髪組という現役引退組の仲間うちでの行き当たりばったりの”罵り合い”で疲れは倍加しています。
悪いことに、永い付き合いの花粉症が例年より酷く、4月から始まる非常勤講師の準備も前に進みません。
本当は、昨年の尖閣列島問題で顕在化した、日本のグローバル世界での没落を憂え、年老いたとはいえ未だ残り火の燃え盛るラマンチャ魂をかき立てながら、”温故知新”の旗のもと、"Trust”をテーマに勝手気儘な放言を書き殴る筈でした。
さらに2月以来 2つもの学会セミナーに出っ張って志を得、CPS (Cyber Pysical System) という新ジャンルに踏み込み、eCloud研究会でIT援用によるTrust 再開発エンジンという稚拙なアイディアを連発するつもりでした。
当時のテーマは”誇りと癒し”でしたが、もちろん誇りの昂揚が本音でした。
ところが今は、 ホメオトシスの鏡に映るその誇りは、ひび割れた残像を残しながら日々霞んでいきます。

司馬小説で鼓舞された誇りと高揚感

 小生にとっての日本人の誇りとは、司馬文学、司馬史観の熱気から得たものが殆どです。
本棚に並ぶ司馬遼太郎さんの書籍から、装丁がバラケそうになっている「明治という国家」を取り上げ、少し拾い読みして、これが、小生が書きたいと想っている、温故知新の精神だよな、と再確認していました。

 振り返れば、小生も夢中になって参画していた日本経済勃興期の、”猛烈社員”の脳のひだ心のひだは、司馬遼太郎さんのマインドコントロールに完全に嵌っていたように思います。
司馬さんが描く”カラカラとした”日本人の心映えは、美しくって楽しかった。素晴らしい勢いがあった。
司馬さんは、歴史の背景を語りながら、魅力的な主人公達を小説の手立てで奔放に躍動させ、日本人の持つ精神の美しさや限りない能力の拡がりを、顕在化して見せてくれました。
そのお芝居の精神的な背景に溶け込むことで、私たち世代は価値観を共有することが出来ていました。
なんでも出来ると思ったし、怖いものも無かった。
 昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に感銘を受け、日本人として精神の高揚を吐露した人たちが周りに一杯いました。清々しい涙が心を洗ってくれたのでしょう。昨年の暗い現実を一瞬でも忘れさせてくれました。
原作でないとはいえ、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」がベースにあるのは言うまでもないことです。
主演の福山雅治さんが、今までの数ある坂本龍馬役者の中で、一番竜馬らしかった。素晴らしかった。
ぼんち育ちの人たらしが英雄的行為を成す、その竜馬の魅力が見事に描かれていました。

 ラマンチャ通信のQuestも、その文脈の筈でした。
ところが、昨今の、暗さです。日本人の誇りも、風前の灯の感が漂っています。

 想えばこの10年以上、私たち日本人は、その日暮らしの気怠さと、閉塞感に悩まされ続けてきました。
そして、ある種の反省も込めながら、 司馬文学、司馬史観の熱気を振り返ってもいました。
以下に2009年12月11日の、ITの風景のブログの一部を再掲します。

”坂の上の雲”は何を目指し、何を得たのか

 同じNHKで(当時)、司馬遼太郎さんの坂の上の雲が始まっています。
ドラマとしての素晴らしい構成と、熱血の役者の皆さんの超弩級の迫力に、感涙しながら久々の大作を楽しまさせていただいています。
そして司馬遼太郎さんの描く熱気が、その精神の美しさが、昔、小生らが激しく感応、高揚した元気印の力の源泉として、若い人達にもう一度伝わる事を願ってやみません。
日本人はやれば出来るのだと。その意味では、このドラマの意図には賛成です。
そして再び宇宙戦艦ヤマトも、厚い氷を破って再発進するのだそうです。
 一方で、グローバルな世界と向き合い、改めて溶け合って行く上での、独りよがりでない日本人の立ち居振る舞いにも目を配る必要があります。藤沢周平さんのボトムに沈む心模様の繊細さでもって。
 日本人は、今がやはり一番大事な局面にいるのでしょう。未来へのスタンスをどう取っていくのか。
特に IT の世界ではどんどん国の境界が消えていっています。鎖国のような線引きは勿論出来ない。
そしてサムライ心にもとる他人を慮らない恥知らずの行為は自滅の道なのも解っています。
逆に日本人の真の誇りや宝物を恣意的な動機でないがしろにすることの愚さも解っています。
限られた時間軸の中で、日本の戦略や戦術の策定と意思決定は大変困難なものでしょうが、それでも勝利しなければなりません。その意味で、もう、雑で曖昧な甘えの意思決定は許されないでしょう。
 過去に、この坂の上の雲に駆け上がろうとして結果的に大きく滑り落ちた経験が幾つかあります。
その多くは、サムライ心に反する傲慢と欺瞞のなせる結果でした。サムライだと言いながらです。
 IT の世界にもそのような風景がありました。その現場にいた小生は、 My Quest の一貫として温故知新の情報発信に、個人的な損得を超えて、努力して書きたいと思います。今、改めて思い直しました。
この国には、もう2度と失敗は許されないのですから。


2011年3月11日をもって、このような反省も心模様も、怒れる大津波に飲み込まれ、砕け散ってしまいました。

小生が救われた、山手樹一郎のワンパターンな筋書きによる癒し

 突然話題が変わってしまいますが、一時期小生は、専門書以外に、書店で手に入る古代史と時代小説、歴史小説のほぼ全てを読み尽くしていました。 時代小説、歴史小説は山岡 荘八から始まって、吉岡英治、五味康介、海音寺潮五郎、司馬遼太郎、山手樹一郎、子母澤寛、山本周五郎、池波正太郎、平岩弓枝、白石一郎、津本陽、新田次郎、憧門冬二、藤沢周平、そして中国古代小説の宮城谷昌光などなどです。
 皆さんは、小生のことをよっぽど暇なサラリーマンだったのだな、と思われるかも知れませんが、さに非ず。
この業界で、計算機と格闘して最も長い時間を徹夜で過ごしたSEは、小生だと未だに自負しています。
そして、心ならずも営業部門のサラリーマンの一員となり、何度もクビで降格された、自負もあります。
青春の真っ盛りの頃は、山野を駆け、海に遊び、恋に憧れ、小説本を手にしたことなどありませんでした。
それがビジネスの世界に紛れ込んでから、よく読みふけりました。
きっと、癒しが必要だったのしょう。
酒場で飲み潰れる日々も多多々ありましたが、心のひだを修復してくれたのは読書だったように思います。

 何時読んでいたかというと、通勤時間でした。
小生は、入社後すぐに淡路島から神戸に2時間以上かけて通うサラリーマン生活を始めましたが、淡路島を出たその直後も京都に住み、京都ー大阪ー神戸という通勤を長く続けました。
東京に出てきてからは、横浜ー東京ー千葉幕張という通勤に、明け暮れていました。
 そんな通勤途上の駅の売店で、全てのシリーズ本を購入したのが山手樹一郎でした。
癒しの時代小説としては山本周五郎と藤沢周平が秀逸だと思いますが、ある時期、山手樹一郎にぞっこんでした。つい、売店の端っこの回転棚に紛れ込んでいる山手樹一郎に手が出るのです。
駅の売店に常に存在していた、ということは、小生以外にも読者がいた、ということですよね。。。
 
 著作は20冊近くあると思いますが、その筋書きはたった一つしかないのです。
主人公は何処かの大名のイケメンの若様で、そして相思相愛で何処かの大名のお姫様と必ず結ばれる。
絵にかいたような、ハッピー・エンドです。
大筋はそれだけなのですが、...
二人が出会う前には、何故か若様は市井をふら付き、粋な姉御に出会い、惚れられる。
その後、何故か悪漢の侍たちに襲われる美貌のお姫様を救い、お互いの恋心が芽生える。
とにかくこの若様は、何故か腕っぷしが無茶苦茶強くって、チャンバラでは絶対に負けない。
この時点では、お姫様には若様の素性は知れていない。単なる素浪人です。
しかしそれでは話が続かないので、
若様とお姫様は旅に出る。国下に送り届けるのですね。
この旅のあたりから、粋な姉御は自分の失恋を悟るわけですが、..
大丈夫。 姉御のお相手として、少しグレードの落ちる三下のイケメンが、用意されています。
そして、この旅の途上で、再び暴漢、悪漢の群れが襲ってきます。
で、絶対的に強い若様ですから、チャンバラでは絶対に負けないのです。 が、
何故か、峠の端っこで、足を滑らせて谷底に落ちてしまいます。
これは、20冊のシリーズで、必ず落ちるのです。
勿論のことですが、谷から落ちても若様は死なない。どんなに高い絶壁から落ちても大丈夫なのです。
で、...
ま、そんな風なお話が、若様の名前や出身のバリエーションが違っても、大筋は一本で、変わらない。
小生は、そんなハーレクインの乗りに、嵌まっていました。
そして、心は癒されていたのです。

 山手樹一郎自身が書いているように、このシリーズは、太平洋戦争の敗戦でどん底にあった日本人の、深く傷ついた心を癒すための、糧だったのですね。
何処までも明るい、一直線で明るい、脳のひだの出る幕など、これっぽちも無い世界です。
(でも、小生は水戸黄門に癒しを感じたことはありません)
山本周五郎も、戦前の御用小説家の罵声を浴びる日々の中で、底抜けの優しさを、書いています。
人情長屋のぶらり信兵衛です。


さて、神話の再構築を始めなければなりませんが、その前にチョット一休みといきましょう。

ラマンチャ通信のTOPページに、ミュージカル映画、キャメロットの最後のシーンを貼り付けていますが、
何方も興味がないようですね。
この映画では、白馬の騎士、イケメンのランスロットが心ならずもキャメロット王国を破滅に導くのですが、
滅びの後のキャメロット神話伝説を市井の子供に託す、アーサー王、リチャード・ハリスの歌がいいですね。右欄に、より大きなサイズでリンクを貼り付けます。
リチャード・ハリスは『ハリー・ポッター』で魔法学校の校長アルバス・ダンブルドアを演じていました。

 小生が大好きなもう一つのミュージカル映画は、ピーター・オトゥールのラ・マンチャの男です。
これも前にTOPページに貼り付けていましたが、誰も見てくれなかったような。..
もう一度、右欄にリンクを貼り付けます。
 明明白白ですが、このラマンチャ通信のWebサイトのネーミングは、この映画からの借り物です。
広く知られたドン・キホーテの物語というよりは、ピーター・オトゥールのラ・マンチャの男を見初めてしまった。
ピーター・オトゥールの、現実との””のずれた生真面目さが、好きなのです。

 実直な人生の一回戦を終えたラ・マンチャ地方の小郷士ドン・キホーテは、残された2ndステージを、
彼の永年の夢であった騎士に成る旅、Quest に、サンチョ・パンサを徒もにして出発します。
途中、荒野の一軒宿に行きつくのですが、それはドン・キホーテにとっては一国のお城に見えます。
そこで出会った身をも売る下女のアルドンサを、彼はレイディ(貴女)、ドルシネアとして崇拝します。
騎士には、必ずその身の全てを献身する対象として、レイディ(貴女)が必要なのです。
その役柄が、ソフィア・ローレンです。。。。いいですね。
騎士と侍とでは、このあたりが全く違います。
 小生は小学生のころ、騎士に憧れていました。 (ま、その後もずっとではありますが。)
そして、ある日、その日も診察の仕事を終えてベッドに横たわりながら一人で読書する母にむかって、
自分は母親の騎士になるのだ!、と宣言していました。
母親が、黙って微笑んでいたのを思い出します。

 騎士といえば、チャールトン・ヘストン主演の”エル・シド”が大好きで、何回も映画館に歩を運びました。
そして主題のエル・シドのテーマを心に流しながら、何回も何回も、逆境に向かう勇気を、貰ったのです。
そういえば、この映画のレイディも、 ソフィア・ローレンでしたね。。。

 このブログの主題である、社会人になってから嵌まった時代小説や歴史小説とかけ離れた鏡の中の世界に遊びましたが、でも、老いた小生も、少し勇気が出てきました。 
再出発です。


全ての人々への癒しのメッセージとして、John Lennon の Imagineを貼り付けます。
レクイエムでもあります。

 












      

ホメオトシスの鏡に映った日本人としての、技術者としての誇りの残像は、疲れ果て、日々、ひび割れた傷跡だけが残されていきます。
 

誰が、何十年に渡り積み上げてきた日本人の、
私たち技術者の誇りを消し去ったのでしょうか。
それは私たち自身が消し去ったように思います。
日本人の誇りが、いつの間にか驕りに化けていたのです。
それが ”坂の上の雲”の、果てだったようです。
 

神話はいつかは壊れるもの。
しかし、また新たに、創り上げ、造りあげることが、出来る筈。
 

走れ少年よ、そして伝えよ、
昔、理想の技術の王国があった事を

アーサー王が造り上げた理想の王国キャメロットは、
円卓の騎士の結束により栄華を極めた。
しかし、ランスロットと妃グィネヴィアの心に芽生えた不倫の恋の発覚により、心ならずも崩壊してしまった。
苦渋の下に攻めたてたランスロットの城外の夜営で、
アーサーは騎士を夢見る一人の少年に出会った。
アーサーはこの少年を騎士に任命し、理想の王国、キャメロットの語りべとなることを命じた。
 

 "The Impossible Dream"
from MAN OF LA MANCHA (1972)


To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go

 

To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star

This is my quest
To follow that star
No matter how hopeless
No matter how far
To fight for the right
Without question or pause
To be willing to march into Hell
For a heavenly cause

And I know if I'll only be true
To this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
When I'm laid to my rest

And the world will be better for this
That one man, scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star
  

John Lennon, Imagine