当テーマの論考が、”ホメオトシス”か”ITの風景”のスレッドで展開すべき記述となってしまいました。
改めて研究スレッドとしての加筆・再編成を行いますのでご容赦ください。
現在のSOAの踊り場状態の遠因は、IBMにおけるSOA事業出発時点での組織のしがらみにあるようです。
SOAを発案し、そしてサービスの概念の重要性を最初に主張したのは米ガートナーであるのは周知の事実です。尊敬に値します。
一方で、SOAを業界挙げてのキーワードに押し上げたのがIBMであることも事実です。これにはフェアーに言って異論はないはずです。
そして、のっけから手前味噌で申し訳ありませんが、小生がIBMのSOAスローガン旗揚げの言いだしっぺです。(ホメオトシス?)
2003年9月にIBM FellowのGeorge Galambosが日本IBMを訪問した時、当時ソフトウェア事業部門とサービス部門がバラバラのビジョンでメッセージ発信していたのを、SOAのタグで統一するようにとリクエストしました。そしてその翌年の4月に、ソフトウェア事業部門とサービス部門の初めてのIBM統一スローガンとしてSOAが打ち出されました。これには同席していた高安
元IBM DEという確かな証人がいます。
これらの話は余談ではなくSOAの流れと将来を語る上で重要です。
George GalambosはIBMカナダの古いSEで、その意味で小生とは気心が知れた間柄です。彼はIBMサービス部門の技術リーダーとして発言力が強かったわけですが、アーキテクチャ構想力の点では、当時のソフトウェア事業のチーフ・アーキテクトだったIBM
Fellow, Don Fergusonに叶うべきもありませんでした。当時Don Fergusonはオンデマンド・アーキテクチャの策定中で、その内容はガートナーのSOAの主張と基本的には大きな違いはありませんでしたが、IBMがネットワーク・コンピューティングのイニシャティブ以来訴求してきた、企業システムのシステム的な課題解決と強い一貫性があるものでした。 しかしIBM SOA構想のリーダーシップは最初のボタンの掛け具合でサービス事業部門が握り、時を経ずしてITシステム中心のアーキテクチャがビジネス・アーキテクチャに重心を移していきました。少し後になりますが、Don
FergusonはIBMを辞めマイクロソフトに去りました。(現CA在)。そしてそれを契機に、IBMのSOA構想はITスタックの上層への勢いをさらに増し、インフラへの着地を忘れて空中に飛翔していきました。 語弊を覚悟でいえばコンサルタントの世界に飛翔してしまった。
勿論、SOAのビジネス・アーキテクチャへの展開の価値を小生は高く評価しています。しかしその一方でプラットフォームやインフラへの実装のアーキテクチャ創りが大きく欠けていたと思います。
SOAの課題はインフラ・運用系とのスムーズな統合
IBM SOAのビジョンを日本IBMから発信するに先だって、小生はサービス事業とソフトウェア事業のコ・ワークにシステム事業(HW系)も入れる事を日本IBM幹部に強く提言しました。日本のお客様ITの視界に、プラットフォームの論議が欠落していては成功はあり得ないと考えていたからです。当然というか、当時既に日本IBMで、このような提言に耳を貸す人はいませんでした。
IBM SOAの言いだしっぺとして、小生も当初数多くのお客様を回りましたが、プラットフォームの受け皿の確たる仕切りの無いビジョンの限界を強く感じました。仮にSOAをデザインできても、多くのケースで現実のシステム環境にうまく落とし込めない事が予想できました。
さる大きなM&Aがらみのシステム統合でも、結局はNFRなどの観点でSOAでのアプローチは早い段階で消えてしまいました。
時間を経、重層化した積層スタックのシステム環境はやはり古い革袋であって、SOAの理念的なサービス指向の新しい美酒を収めることは難しかった。 日本のITの風景がSI一色になっていくに従い、小生の主張するような、プラットフォームを視野から外してSOAなどの革新はありえないという考え方は、MDA (Model Driven Architecture)などに夢中なった開発中心のアーキテクトには先ず通じませんでした。彼らにはプラットフォーム独立(無視?)が至上命令のように見えます。一般的に、ソフトウェア開発の手法や考え方が、いつのまにかシステム開発全体を意味する事に大化けし、プラットフォームや運用の重要さは大きく後退していきました。
(皮肉なことに、クラウド・コンピューティングというプラットフォーム重視の改革が、結果的に、システム構築でのプラットフォームの隠蔽という開発中心のITアーキテクトに果たせなかった願望を具現化することになるのでしょう)
SOAとインフラが整合性を持つという点で、IBMの開発部門では一度チェンスらしきものがありました。それはシステム事業の押すグリッド・アーキテクチャがソフトウェア事業のWebサービスと遭遇した時です。WS-RF
(Web Services Resource Framework) の策定です。結果的にはシステム事業のチーフ・アーキテクトのJeff NickとDon
Fergusonとの激突となってしまい、敗れたJeffが失意のメッセージを残してEMCに去ってしまいました。これはプラットフォームの技術者の範囲での争いでしたが、インフラ側の勢力の衰退を明示した大変象徴的な事件でした。この2人はともに2001年のGerstner前IBM会長の”スイート・スポット”、zLinuxとWebSphere、の牽引でIBM
Fellowになった同期生です。それにしても、クラウドがある意味ではグリッドの後継アーキテクチャだと考えると、小生にとってはクラウドとSOAの技術での再会は意義深いものがあります。
SOAサービスのクラウド・サービス化がSOA実現の鍵
前置きが長くなって本論を書く時間が無くなってしまいました。改めて加筆いたします。
要は、上図の左端のオンデマンド化のフローの流れで、上流からのSOAのサービス化展開を、プラットフォームや運用系に落としこむ段階でこの流れを阻む大きな断絶があったわけですが、この断絶を、新しくクラウド・サービスを活用し、これにSOAサービスをマッピングすることによって突破することが出来そうだということです。
この断絶は、既存の古い革袋であるサーバー系への新しい美酒であるSOAサービスの直接的な導入という考え方の、根本的な不整合さに原因があったと小生は考えています。
クラウド・プラットフォームの革新的な運用性を活用し、その上に論理的に展開するフレキシブルなクラウド・サービスの構造を利用することによって、SOAサービスをプラットフォーム上にスムーズに導入、SOAを実現するという主張です。
”サービス”という言葉の親和性が、驚くほどSOAとクラウド環境を結びつけることになります。
サービス指向とアプライアンス指向の融合
これも改めて加筆いたしますが、要は、SOAが性能や信頼性という運用面でのNFR充足の点で行き詰っていたものが、クラウド・プラットフォーム上に展開するソフトウェア・アプライアンスのフレームワークを活用することによって、課題の多かった粒度のトレードオフなどをクリヤー出来るという主張です。サービス指向のアーキテクチャでは、個別のサービスを伝統的な積層型のスタック構造に無理やり押し込めるよりは、ソフトウェア・アプライアンスにサービスをそのまま収める考え方の方が遥かに自然だという主張です。
バズワード退治をミッションと考えておられる方には、このような小生の提言をなんと捉えられるでしょうか。
バズワードにバズワードを重ねて、世の中をさらに幻惑する不埒な輩だということになるのでしょうか。
小生は、バズワードはイノベーションの旗だと思っています。
良いシステムを創り上げるために発想する技術者の夢や努力は決してバズワードなどという概念で切り捨てられるものではありません。
それを販売するというミッションを与えられた段階の人達の行動だけを切りだして、バズワードだと騒ぐスタンスはかなり一方的です。
いずれにしても、プライベート・クラウドの大きな可能性について引き続き論考していきます。
とにかく、企業データなどのGRCが不可能な以上、基本的にパブリック・クラウドでの企業システムのイノベーションは不可能なのですから。 |