リングに訊け!
 
strokestrokestrokestroke
 
strokestrokestrokestroke
 
strokestrokestrokestroke
 
【天龍源一郎編】
・ 阿修羅原との邂逅
・ジャンボ鶴田への憧憬
・ジャイアント馬場からの薫陶
・川田利明への感慨
・冬木弘道の本懐
・越中詩郎との絆
・田中八郎の野望
・ハッスルへの渇望B0628C3D-96AD-46EF-A470-0EA3CC4DBD0F.html69E11E89-CB14-42AF-8799-459E52DBA237.htmlshapeimage_5_link_0shapeimage_5_link_1
 『天龍源一郎』
 本名・嶋田源一郎。身長189cm体重120kg。福井県勝山市出身、1950年2月2日生。
 大相撲・二所ノ関部屋(最高位・西前頭筆頭)出身。
 1976年11月12日デビュー(対テッド・デビアス/テキサス)
 得意技・パワーボム、延髄斬り、DDT、逆水平チョップ。
 獲得タイトル・三冠ヘビー級、PWF世界ヘビー級、UNヘビー級、IWGPヘビー級、
 日本J1選手権、世界タッグ、インターナショナル・タッグ、PWFタッグ、
 アジアタッグ、IWGPタッグ、ミッドアトランティックタッグ、
 WMGタッグ、NWA世界6人タッグ、WAR世界6人タッグ、ハッスル・スーパータッグ
 <主な団体の変遷>
 全日本プロレス-SWS-WAR-新日本プロレス-全日本プロレス-WJ-NOAH-ハッスル など。
 鮨処「しま田」(桜新町駅歩2分)経営。 人はなぜ天龍源一郎に魅せられるのだろうか?
男はなぜ天龍源一郎に憧れるのだろうか?
荒々しいファイトスタイルに、敢えて飛び込む波乱万丈のレスラー人生に、いつまでも尽きることのない師匠やライバル達への思いに、表面的には分からない後輩や弟子への深い愛情に、歳を重ねても新しい技にトライする探究心に、ゾウを思わせる硬そうな肉体に、ダミ声から発せられるウィットに富んだコメントに…。 【長州力編】
・アニマル浜口の侠気
・藤波辰彌への羨望
・佐々木健介の眩惑  『長州力』
 本名・郭光雄(日本名・吉田光雄)。身長184cm体重120kg。山口県徳山市(現・周南市)出身、
 1951年12月3日生。専修大学レスリング部出身。ミュンヘンオリンピック・韓国代表。
 1974年8月8日デビュー(対エル・グレコ/日大講堂)
 得意技・リキラリアット、サソリ固め、バックドロップ。
 獲得タイトル・IWGPヘビー級、PWF世界ヘビー級、WWFインターナショナルヘビー級、
 グレーテスト18クラブ、IWGPタッグ、インターナショナル・タッグ、NWA北米タッグ、
 UWA世界タッグ、WMGタッグ
 <主な団体の変遷>
 新日本プロレス-ジャパンプロレス-新日本プロレス-WJ-リキプロ など。 人は長州力を革命戦士という。維新を成し遂げた英雄だという。
今まで誰も見たことのないプロレスをマットに持ち込み、決して自分のスタイルを、自分の主義主張を変えることはなかった。その姿に人は魅入られ、その姿に自分の人生まで重ねて見ていた。雑草のような男に夢を見ていた。  『一瞬の夏を駆け抜けた団体・UWF』
 正式名称・Universal Wrestling Federation。1984年4月11日旗揚げ(大宮スケートセンター)。
 1985年9月11日一時活動休止、業務提携により1986年1月3日より新日本プロレスに各選手が参加。 
 1988年5月12日再旗揚げ(後楽園ホール)。1990年12月1日最終興行(松本運動公園総合体育館)。
 1991年1月7日団体解散。  総合格闘技という概念自体がなかったその時代、それに極めて近いファイトを見せる団体があった。  
 そこにはプロレスでありながらプロレスたりえない空気が支配していた。
 ロープワークはない、華麗な飛び技はない、ド迫力の凶器攻撃はない、場外乱闘はない。あるのは
 クラシカルなスープレックス、シンプルなキック、そして決して脚光を浴びることがなかった
 極め技。だがそれよりも、ただ強くなりたいという純粋な思いと選手たちの強烈な個性があった。 【UWF編】
・comeing soon