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哲学への憧憬
ラ・マンチャ通信
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  瞑想/覚悟/そしてシステム屋としての思考
中島丈夫の哲学への憧憬
哲学への憧憬は若いころから強くありました。科学の実証性を超えた自由な論理の飛翔が魅力です。
哲学には殆んど造詣はありませんし、思考も随分と鈍ってきています。恥をかくだろうなぁぁ。。。



気の流れを生む心のエネルギー勾配. 誇りと癒しの再生サイクル

- 怒りを超え、心を癒して日本人の誇りを再生しよう -2

2011年01月10日記述


ホメオトシスの記事、”21世紀の日本国家アイデンティティ. Trustの旗は至誠と誇りで立てる
からの続きです 

Trust と Reputation を無くして荒む日本と世界の風景.  至誠と誇りによる再構築へ

 とにかく2010年の日本国は酷いものでしたね。
これまでの根本的な問題解決や課題対応を先送りしてきたつけが一気に顕在化してしまいました。
その中でも一番の問題点は、人や国家間のTrustReputation が破綻してしまったことです。
特に日本においては、政治家の人間性を疑わせる不誠実さは眼を覆うものがありましたが、その結果として日米間のTrust にも空白が生じ、中国からの尖閣列島問題やロシアからの北方領土問題など、日本人のTrustへの安易な盲信を木端微塵に踏みにじる出来事が続きました。
そして大変残念な事に、国際的な日本国のReputation も一気に失墜してしまいました。
一方で、学校でのいじめは後を絶たず、親の子への虐待や、ミイラ化して捨て置かれた高齢者の遺体など、想像を絶する人心の荒廃が続きました。
 世界ではもっと以前から、北朝鮮の全くの不誠実な行動や宗教絡みののテロの頻発など、人々や民族間のTrust はドンドン空虚なものになりつつあります。
そして、冷戦を勝利した米国人の誇りは驕りとなり、ストイックさを欠いた資本主義暴走の末のリーマンショックで世界経済を大恐慌寸前まで追い込んでしまいました。
さらにグローバル化の大きな流れの中で、欧米中心の価値観やお作法から、国家や民族の多様な価値観への転移が起こりつつあり、これまでの暗黙の国際ルールが続くのか、その行く末にも不安が漂います。
そしてそんな激変期に、日本人の誇りが、今、雲散霧消しょうとしています。
20年に及ぶ経済停滞による未来への閉塞感と、前述したような国際的な理不尽さに直面したことによって、
私たちは深く傷つき、疎外感に蝕まれ、益々誇りを無くして無気力になっています。
誇りを無くした日本人は、怒りやすくなり、口ぐちに罵り、また、草食系男子の言葉で表現されるような、受け身的なライフスタイルにどんどんのめり込んでいます。

 小生はホメオトシスのスレッドで、このTrust を再構築することの重要さと、それを確立するためのコミュニケーション・プロトコルとして、至誠、誠実さが最も相応しいという主張で、2011年のスタートを切りました。
その中で、誇りの伴わない誠実さは忠犬ハチ公的な忠実さだけの朝見外交に堕してしまうとも述べました。
Reputation の伴わないTrust など持続しない。”奴隷の平和”の選択肢は考えられない。

ここではこの誠実さ誇りについて、そしてTrust との関係について、もう少し論考したいと思います。

人間の心的空間の構造と、気の流れの意味

 人間は、超未熟児のまま赤ん坊としてこの世界に投げ出され 法的には20年という、実に長い時間をかけて成長していきます。
生命維持を100%依存する母親との絆を基に、自分の眼というこちら側のを通して、投げこまれた外の世界の認識から始まり、五感による対象の価値づけと共に、自己と世界との共生が構成されて行きます。
これは教師付き学習課程そのものですが、アーキテクチャ(青写真)がDNAで世代間で受け継げられ、既に情報化され、自己形成課程の骨組みは構造として仕組まれているのでしょう。 
各自の、偶然ではない偶有的な人生の始まりです。
そして、赤ん坊からの自己主張の手探りの発信に対する、母親などの叱りや称賛という窓の向こう側からのフィードバックにより、自己が徐々に、そしてしっかりと確立されていくように思います。
この過程で特に重要なのは好奇心の役割でしょう。幼児のそれは、一刻も速く世界を理解することが生存のために必須なのでしょうか、食欲にも劣らない迫力で、窓の外側に在る世界を認識していきます。

 窓を通しての学習は、もっぱら頭脳が主役となる情報システム構築ですが、DNAが生物としての生存のための物理的な構造、頭脳も含めた身体を企画し、全体で脳のひだ心のひだとして蓄積されていきます。
この情報系と物理系が複雑にもつれ、窓の内外を通して脳のひだ心のひだに形成されていく赤ん坊の世界は、レーダーのような意識とのエコーの距離感覚で腑分けされながら、心的空間社会的空間物理的空間として、自己を核としながら包含的に構成されて行くものと、小生は考えています。
養老猛さんの、逆説的な唯脳論の世界です。

 さて、人間系の生命エネルギーは、東洋思想では度々の流れとして表現されますが、小生も、この人間の内的な情報系と物理系の複雑なもつれを、気の流れとして表現したいと思います。
つまり主に頭脳で処理される情報処理系と、それを生命として支え、さらに身体や身体の外側の世界とのコミュニケーションを司る五感の物理系とのもつれの表象が、気の流れ、だと考えます。
 人間の情報処理系がコンピュータと大きく違うのは、このソフトウェアやデータは、それを支えるハードウェアとの間で、動的に編成可能な相互依存性を持っていることにあるのではないか、と思います。
脳神経系のニューロン・シナプスは信号処理に応じて太って行きますし、脳のニューラル・ネットワークは動的結合のハードウェア構成を可能にしています。
つまりは情報の流れであると同時に、生体のハードウェアのメンテナンスも行っているのでしょう。
綻びを繕ったり、錆を落として潤滑でロバストな気の流れを、情報内容の流れ自体で行っているのです。
自己組織化の仕組みですね。
その意味で、情報空間と心的空間とは大きく違っています。
心的空間では情報が、情報処理そのものが、物理的な生体の生命エネルギーともなっているのです。

(下に続きます)
























     2011年はTrust再構築スタートの年

繊細なTrust構築のコミュニケーション・プロトコルは誠実さと誇り.











    

人間の世界は、意識という窓のこちら側で外側を見ている偶有的な自己と、マクロ的に存在する外側の世界との共生で醸成されていく

 
 
 





   心のエネルギー勾配による気の流れが人間を活性化.
   誇りと癒しの、コミュニケーション・プロトコル

 

気の流れを可能にする、心のエネルギー勾配

 健全な気の流れを維持するためには、気力という心のエネルギーの心的空間での勾配が必要でしょう。
電気が流れるための電位差と電力のようなものですね。
では、この電位差、勾配はどのようにして出来上がるのでしょうか。
 コンピュータの電子回路と違って、外部から電圧を印加して電流を生成・制御するのではなく、やはり気の流れ自体がこの勾配を作り出しているように思います。 
 この心のエネルギー勾配は、気力充実によるpush型排気ポンプの誇りのエンジンと、気の高ぶりによるオーバーヒートを吸収して系全体を沈静・安定化させる癒しpull型吸気ポンプから構成される、と小生は考えています。
そのどちらのポンプも、気の流れをエネルギー源にしている、自律型の永久機関ともいえます。
 誇りと癒しとは、人間生存エネルギー・デリバリーの気の流れを維持する、大切な機能だと考えます。
それは心の磁場のようなものです。プラス(+)の誇りとマイナス(-)の癒しの両極で構成されます。
DNAと、窓を通しての学習によって蓄積された脳のひだ心のひだによる自律メカニズムなのです。
 
 この論考は、医学でいう交感神経副交感神経や免疫系の構造に比することが出来ると考えています。
生物としての恒常性が保たれる生体恒常性は、ホメオスタシスとして学問的に権威のあるものですが、
小生はこの誇りと癒しの気の流れの構造を、ホメオトシスとして揶揄する形で勝手に造語してきました。
気のバランスを維持・回復させるための誉め、落としです。

人間は単独では生存出来ないアーキテクチャで構成されている

 それでは、気力充実の誇りのエネルギー源はどこにあるのでしょうか。
 窓を通したプロトコルで誇りは誉められることによって膨らみ疎外されることによって萎みます
誇りが萎むことによって、気力が失われ、気の流れが滞ってしまいます。
気の流れが滞ると、心の酸欠状態のようになり、生存のための怒り叫喚を引き起こすことになります。
 癒しは、気の高ぶりを低下させ、相対的な心のエネルギー勾配を促し、気の流れを復活させます。
気の流れの復活によって心のエネルギー勾配が意識され、自己が自信を取り戻すことになり、誇りの再生産に大きく寄与します。誇りと癒しは、良い意味でのマッチポンプの関係にあると考えています。
ということで、人が活動的であるためには、誇りと癒しを上手にコントロール出来ることが重要だと考えます

 で、この誇りと癒しを、単独で、独り舞台で出来るのでしょうか。
小生は次のブログの”鏡の中の世界”で、ホメオトシスでこれが可能かどうか論考するつもりですが、本来は
一人で出来るようにはアーキテクトされていないと考えます。
誇りと癒しは、漫才の突っ込みとボケとの関係のように、相方とのコミュニケーションによって成立し、気の流れが成立・循環していくように考えられます。
気の流れは、お互いの誇りと癒しによる吸排気、気のPush Pull がマッチングして安定します。
それは、 お互いの心的空間が、共有する社会的空間を通した五感の感応・共鳴で接続されるのでしょう。
Trust は、この気の流れの健全でロバストな循環系が出来上がると、発生するのでしょう。
赤ん坊の時には母親が、このPush とPull を上手に操って気の流れを恒常的な磁場(気場)に作り上げます。
それでは成人になった場合での方法は何でしょうか。
小生は、対等な相方どうしのコミュニケーション・プロトコルとしての誠実さ、だと考えます。

 それでは、これが国家間ではどのような展開になるのでしょうか。アーキテクチャは何が良いのでしょうか。
より大きな覇権主義に膨らんでいくように見える相方、中国と、どのようなプロトコルが可能なのでしょうか。
また、日本人、日本国家のユニークさとは何でしょうか。なにを改め、何を強化すれば良いのでしょうか。
人口の都市への集中やインターネットの暴発で、人間の心的空間や気の流れはどう変わるのでしょうか。
論考すべきことは山のようにあります。

(下に続きます)
 














 
 





















 
 
 
 

The Power of 150

 人間のコミュニケーション能力を測る上で参照されるのが、猿集団の毛づくろい(グルーミング)です。
猿集団では、そのサイズが大きくなればなるほど、お互いの毛づくろいの頻度が増えていくそうです。
毛づくろいが猿集団のTrust 維持のプロトコルだとすれば、サイズの上限は自ずと限られてきます。
猿グループの上限は50匹程度で、それを超えるために、人間は言語を発明した、という説があります。
 複数の心理学者は、我々人間の頭脳は定期的に150人の人々と相互作用できるようにハードワイアードされていると言及しているそうです。DNAですね。
この仮説は新皮質の残りの頭脳に対する定量から導かれています。
この数はダンバーの数と呼ばれています。
Dunbar's number
http://en.wikipedia.org/wiki/Dunbar's_number

 この上限を考えると、大きな人間集団が階層化されるのは必然です。そして、民主主義など、様々な政治形態が生まれてくるのも当然でしょう。
結局、偶有的な心的空間とマクロ化する社会的空間の絡まりと共生のさらなる考察が必要になります。
そして、これらは物理的空間の制約に大きく縛られることも明白です。
 この物理的空間がインターネットの出現によって、激変しています。
そして、Social Networking(SN) によって、社会的空間の仕様も大きく変貌しつつあります。
コミュニケーション・プロトコルにも、Twitterという新種が大きく拡がっています。
そこでは多様な世界での、何億という人々のコミュニケーションが、インターネットを介して成立し、考えられないような数の組み合わせと力学が発生し、世界を変えていきます。
全く、複雑系の世界ですね。

 現在の閉塞感を脱して、SNなどで愈々輻輳するこの大きくて狭い時空間を、上手に、元気に飛び回れる術は、エネルギーはどこで手にいれればよいのでしょうか。
それには、自己の、民族の癒しが必要ですし、さらなる飛翔へのエネルギー源が必須です。
自己を誉め、認め、欠点を受け入れ、窓を通した外界の相方との付き合いを経ながら、誇りを醸成し、その誇りをエネルギーとして、さらなる開かれた世界に飛翔する方法を、確立する必要があります。
次のブログで、そのあたりの論考を試みます。

誇り高き男、誇り高き淑女、誇り高き民族として、清々しい自由な大空を、手にいれたいものです。














 

Metcalfe’s Law

個々のノードが他のノードに結合することにより、ネットワークの総価値はノード数の二乗に比例する

Reed’s Law

ノードの追加に対応して価値はベキ乗のオーダーで増加する