リングに訊け!
 
『ジャンボ鶴田』
本名・鶴田友美。身長196cm体重127kg。山梨県東山梨郡牧丘町(現・山梨市)出身、1951年3月25日生、2000年5月13日没。中央大学レスリング部出身。ミュンヘンオリンピック・グレコローマン代表
1973年3月24日デビュー(対エル・タビア/テキサス)1999年3月6日引退。得意技・バックドロップ、ジャンピング・ニーパット。
主要獲得タイトル・三冠ヘビー級、AWA世界ヘビー級、インターナショナル・ヘビー級、UNヘビー級、世界タッグ、インターナショナル・タッグ、PWF世界タッグ、NWA認定デトロイトタッグ 1  私が子供の頃の話。プロレスファン数人が集まれば必ず最強のレスラーについて議論したものだ。「マジになった猪木は相手を殺す」「馬場は唐竹割り1発でハンセンの額を割った」「アンドレは誰も倒れせない」などなど…。ひと昔前(いわゆるミスター高橋ショック以前)でも、伝説の番組「リンたま」でプロレス好きのタレント10数人を集めて『最強の格闘家』を決めるべく、かんかんがくがくの討論を放送している。中には「アンドレは歩くだけでトレーニングになる」というめちゃくちゃな理由もあったが、どんな討論会にも必ず出る意見がある、「ジャンボ鶴田最強説」。
鶴田の力量に関する根強い支持は今もって衰えない、近頃ではもし鶴田が総合格闘技に出ていればどうなったろうかという議論も出てきた。生前の梶原一騎もこの説に従っている。「ナチュラルに強い。もし本気になってしまえば鶴田に敵うレスラーはいない!」という意見が大勢を占める、更には「自分のスープレックスは投げた相手が危険だから封印する」、こんな選手は聞いたことがない。パンクラスではヒールホールドが禁じ手になっているが、これは技自体が危険だから。鶴田のそれとは意味が違うのだ。
                              当然、反論はたくさんある。が、そのいずれも鶴田のイメージばかりが並ぶ。
                              72'10.31全日プロ入団会見「この度全日本プロレスに“就職”した鶴田です」、
                              オマエは文系学生か。80'12.8ジョン・レノン射殺「2、3日調子が上がらないく
                              らいショックだった」、オマエはミュージシャンか。中央大学にはバスケで
                              推薦入学したのに途中でアマレスに転向してしまうテキトーさ。それでも短期
                              間でミュンヘンオリンピック代表にもなってしまう適応力。言動は天然だが、
                              196cmの恵まれた体と共に身体能力はズバ抜けていた証拠である。
                              このエリート選手の入団をマスコミは大いなる期待で報じたが、師匠の馬場は
                              それ以上の期待を英才教育という形で示した、自分の目で認めた素材に対し
                              て。入団後すぐにテキサスのファンク牧場に修業に出し、スタン・ハンセン
                              など当時のアメリカのグリーンボーイ達と競わせる。日本に凱旋すると自らの
                              タッグパートナーに抜擢し、長らく師弟タッグを組んだ。「鶴田・試練の10番
                              勝負」シリーズではフリッツ・フォン・エリックやビル・ロビンソンなど当代
                              一流の外国人選手とのシングルマッチを組み、“一流”というものを直に体験さ
                              せている。実際、鶴田も好勝負を作り馬場の期待に応えた。75'2.5、テキサ
                              ス・サンアントニオで馬場と組み、ファンクスからインタータッグを奪取。
                              76'8.28には復活したUN王座決定戦にてジャック・ブリスコを破りシングルで
                              も王者となる。
                              プロレス能力に加え天性のスター性も併せて、鶴田はたちまちトップレスラー
                              となってしまった。こんな話がある。全日の先輩で大型ファイターで慣らした
                              サムソンクツワダから独立話を持ちかけられたことがあった、77年のことであ
                              る。新団体のエースとなるべく青写真を描いていたものの、察知し怒った馬場
                              はこの計画を潰してしまった。鶴田のレスラーとしてのスター性、また一方で
                              深い考えなく行動する天然さが如実に現れた話である。
                              76'10.15、人気力士の突然のプロレス転向の報を受けて大挙して押し寄せたマ
                              スコミ陣を前に入団会見をした天龍はまだ相撲時代の髷を残していた。この日
                              は撮影のため色々な場所に馬場と一緒に引き回され、プロレス界にもマスコミ
                              にも不慣れな天龍はドッと疲れていた。最後に辿り着いたのが全日本プロレス
                              のオフィス。馬場がドアを開けると、そこにはジャンボ鶴田が座っていた。
                              「あのジャンボ鶴田…」。天龍はこの年6.11に初めて見た試合、プロレス入り
                              を決めた試合を思い出した、NWA世界王者テリー・ファンクに挑戦した鶴田
                              との試合を。
                              「やぁ、キミが天龍君か。これからよろしくね」人なつっこい笑顔を天龍に見
                              せて右手を差し出した。「こいつが馬場さんの一番弟子か。でも本当にこいつ
                              が全日のナンバー2なのか?」。不安で一杯の天龍にこの笑顔が脳裏に焼きつ
                              いた。でも、とりあえず俺はいい“会社”に入ったらしい、それだけは理解し
                              た。が、前日までの闘争心が萎えるのも感じた。
                              それから天龍も”幹部候補生“の慣習に従いテキサスに送られた、髷を付けたま
                              まで。現地での76'11.13、テッド・デビアスを相手の15分1本勝負、フルタイ
                              ムドローで無事デビューした。ヘロヘロで控室に帰って実感した「こりゃ大変
                              な世界に入っちまったぞ」。大相撲では前頭筆頭にまで上った人気力士も、土
                              俵が四角くなったらあまりにも勝手が違う。日本で受身だけはなんとか体に染
                              み込ませたが動き方から力の入れ方までさっぱり分からない。相撲で培った頑
                              丈な体へのプライドも技術習得を邪魔し、平気で無茶をやってはファンクスに
                              心配された。不器用な天龍はこれからしばらく試行錯誤が続くことになる。
                              「ジャンボは半年で巧くなったからな、そのうちお前にも出来るようになる              
                              さ」。
                              77'6.11、苦労の修業の末、世田谷区体育館でのメヒコ・グランデ戦で天龍は
                              遂に日本デビューを飾った。翌6.12には初めて鶴田とタッグを組みハーリー・
                              レイス&ホースト・ホフマンという米英のビッグネームと対戦した。だが実情
                                                                                          は、何もかも鶴田に引っ張ってもらったというのが現実だった、「何すればい         
                                                                                          いの?」と聞きながらタッチを受けていたくらいだから。
アメリカで色々な選手と当たった、色々な勉強をした。年末のオープンタッグ選手権 (現・世界最強タッグ決定リーグ戦)にもロッキー羽田と共に出場した。…しかし、成果は全く見られない。客席一番後方から見たリングではメインが始まっていた。この時鶴田はUNと馬場とのインタータッグ王者、リング上の華やかなライトの中で二冠王は輝いていた。「やっぱり凄げぇなぁ」。
天龍にはすぐさま2度目のアメリカ修業を言い渡された。

2  天龍はテキサスを皮切りにダラス、サウスカロライナなどなど全米を渡り歩いてアメリカンレスリングを学んだ。尚、一度帰国したがすぐにまた渡米している、この時期の低迷ぶりも推測できよう。天龍にはいつしか“永住”の二文字が頭に浮かび始めた、「煩わしい人間関係もなく、自分の力一つで生きるアメリカの方が俺には合ってるんじゃないか」。一緒にサーキットしたザ・グレートカブキやマサ斎藤などフリーでアメリカ中を転戦するレスラー仲間の影響もあったが、日本で使える技が制限されることが一番大きかった。この頃の天龍は延髄斬りや卍固めなどを多用していた、アントニオ猪木のものとしてライバルの馬場は決して許さないであろう技を。ファイトマネーにしても年功序列が支配し、人気レスラーでもなかなか金額が上がらない現実をよく聞かされてもいた。何かにつけて制約がつきまとう日本と違い、着実に力をつけ伸び伸びとファイトできる地でそう思うのも無理はなかろう。
そんな天龍の思いを見透かすかのように帰国命令が来た。「源ちゃん、帰ることないって」「俺たちと稼ごうぜ」、そんな声に天龍も悩んだ。しかし馬場さんを、師匠を無視することはできない。こうして81年5月、天龍3度目の”凱旋“となった。
帰った全日マットは以前とは微妙に違った。タイガー戸口の新日移籍により手薄になった日本人選手は必死に戦っている、前年80’のチャンピオンカーニバルで初優勝(決勝戦でディック・スレーターをジャーマンでフォール)している鶴田は押しも押されぬメインイベンター。修業中に特に実績を残せなかった天龍には中堅の位置も危うい状況。天龍もガムシャラに戦った、それでもいい評価は得られない。そんな環境は彼を無口にさせた、憂鬱な思いを抱かせた。
馬場・鶴田の王者にロビンソンとスレーターのチームが挑戦する
インタータッグ戦がシリーズ最終日に組まれた。しかしその直前
にスレーターが体調不良のため途中帰国、突然パートナーに抜擢
されたのが天龍だった。「どうせこの試合が終わったらアメリカ
からもう帰らないんだ、最後の思い出に好き勝手やってやれ」、
かくして7.30の後楽園ホール、メインの60分3本勝負にはロビン
ソンの隣に天龍がいた。
リング上で対峙した鶴田にはすぐに違和感に気付いた。控室で
天龍はロビンソンからも言われていた、「思い切りやってみろ、
全部俺がフォローするから」。いつもの天龍と違う。突っ張る、
延髄を斬る、卍固めを決める、それだけでなく体ごと突進する
八方破れのファイトを見せる天龍に馬場も鶴田も戸惑った。
いつもと違うだけでない、今の天龍は全日本プロレスの技術を
見せるレスリングと違い気迫を前面に出したレスリングをして
いるのだ。総帥にも若大将にも火をつけた、天龍の気迫を欧州
のテクニックが援護する、試合は予想外の好勝負となった。
最後の3本目に馬場が天龍を場外リングアウトに葬り試合は終
わった。リングを見上げると勝ち名乗りを受ける鶴田と目が合
った、「やるじゃないか源ちゃん、それでいいんだよ」、「こ
れが本当の俺なんだ、最後に気持ちいい闘いが出来てよかった」。
翌日の新聞には天龍大絶賛の記事が並び、同時にアメリカへの
逃避もなくなっていた。
これ以降、天龍は“第三の男”として世間にも認知され、馬場や
鶴田とタッグを組むことも増えていった。それよりも大きいの
がシングル王座挑戦の機会が出てきたこと、これまではとにかく
いい試合を組み立てるのが精一杯で、考えたこともない立場の
変化となった。その第一弾がリック・フレアーのNWA初挑戦
であり、これにより後に生涯のパートナーとなる阿修羅原が食
い付いてきた、「真打昇進」により天龍は様々なものを手に
入れていた。
2人に大きな変化が訪れたのが83年。この春にルー・テーズ
からヘソで投げるバックドロップを伝授され、円熟味を増した
鶴田は世界のビッグタイトルにますます近づいてきた。それを
証明したのが6.8蔵前国技館、何度目かのフレアーとのNWA戦。
60分3本勝負の1本目を鶴田が取ったものの2本目はどちらも
奪えず時間切れ、ルールによりベルトの移動はならなかった。
前年の同対戦でもダブルフォールで引き分けているだけにリング
上では残念さを隠さなかった鶴田だが、天下の世界王者を押し
まくった末の、しかも1本を取った試合にマスコミもファンも
大きな拍手を送った。鶴田はUNのベルトを返上し、ビッグタ
イトルへの執念を見せた。この意思を受けて組まれたのが8.31、
師匠・テリーの引退試合の蔵前国技館大会。力道山以来の日本
の伝統ベルトであるインター・ヘビー選手権への挑戦、時の
王者はブルーザー・ブロディ。パワーで圧倒する王者、鉄柱で
挑戦者の額を叩き割る超獣、これを止めたのはやはりテーズからもらったフライング・ボディシザース・ドロップ。続けてキレのあるバックドロップを繰り出す。ダメージを受けたキングコングを破る(21’33”/リングアウト)。遂に日本の至宝インター・ヘビーのベルトが鶴田の腰に巻かれた。控室モニターで試合を見ていた馬場も感無量、自身の理想をも叶えた新チャンピオンと取り囲むマスコミに宣言した、「今日からお前がエースだ」。鶴田は公式に全日本プロレスのエースを襲名した。尚、鶴田はこの試合の評価で83年度プロレス大賞MVPに輝いている。
テリー引退によりパートナーを失ったドリーは馬場と組んで年末の世界タッグ出場。これまでも頻繁に組んでいたが、ここに正式に鶴田&天龍組は全日を代表するエースチームとなったのだった。開幕戦でシン・上田組に天龍の額を割られ反則勝ちを拾ったが、鶴田の動きばかり目に付く試合にチームの先が思いやられた。そして最終戦12.12蔵前国技館でのハンセン&ブロディ組、鶴田のジャンピングニーも天龍の突っ張りも目の前のモンスターには通じない。最後は天龍がピンフォールを取られ(17’54”/ハンセンのラリアット)準優勝に終わった。パワー全開の最強チーム、相手が悪かったという観もある、連係プレーもスムーズに出るようになったのに…。天龍は自分の不甲斐なさを感じていた。自分の役割は耐えて受けて鶴田に繋ぐこと、それでもまだ…。「フォローしきれなくてゴメンよ、源ちゃん」、言われるほどに悔しさが募り口数は減っていった。今日のバックドロップを思い出すとどうしても口に出てしまう、「やっぱり天才だよ…、凄げぇなぁ」。
実際はそうでもなかった。鶴田と組むということは、彼を倒そうと躍起になる外国人タッグの矢面に立つということなので、天龍には知らず知らずのうちに抜群の受身技術と攻撃技術も身についていた。それが証明されたのが翌年84’2.23、初のシングル・UN王座を奪取したことである。蔵前国技館でリッキー・スティムボードを力ずくでに押さえ込んだ(21’13”/エビ固め)。天龍の鬼気迫る執念を見せた瞬間だった。3カウントが分かるとその執念がその口から出た、「やったぁーっ!」。リング上での勝利者インタビューでは普段の寡黙な姿を忘れさせる戴冠の喜びを言葉にした。そして徳光和夫から「マゲを切って、相撲界と訣別して8年が経ちましたが」の質問に入門からの長く辛かった日々が頭によぎった。「まぁ相撲界にも恩返しができたかと思ってます」。
このすぐ後のメインではAWAとインターヘビーのダブル選手権試合が行われ、ニック・ボックウィンクルから鶴田が世界を制した(32’00”/バックドロップ・ホールド)。やはりそこにいたのはまぎれもない絶対的なエースだった。
タッグチームとしても完成されてきた。9.3広島県立体育館ではブロディと元AWAタッグ王者のクラッシャー・ブラックウェルという合計315kgコンビを破り(18’13”/鶴田のブラックウェルへのダイビング・ボディアタック)インタータッグ王者、初めて鶴龍チーム2人のタイトルも手にした。この年末の最強タッグでも超獣&不沈艦組を破り初優勝を果たした。そして鶴田は2年連続でプロレス大賞MVP受賞。

3 この名実共に名チームとなった2人に新たな敵が現れた、長州力である。11.1後楽園ホール、メインの鶴龍チームを偵察のため長州は観客席にいた。これに反応したのは試合前にマイクを持った天龍、「長州!上がって来い!いつでもかかって来い!」。観客の大声援の中、リングに近づく。緊迫した空気が場を包む。が、若手に制止され長州は試合を見ずにきびすを返して会場を後にした。
更に緊迫したのは12.8愛知県体育館、長州以下アニマル浜口、谷津嘉章らジャパン・プロレスほぼ全選手が席についていた。事件は全試合終了後に起こった。馬場に挑発されたメンバーがリングに押し寄せ、熱くなった浜口と天龍の突っ掛かり合いから乱闘に発展した。12.12の横浜文化体育館で鶴龍が最強タッグ優勝したこの日、アンダーカードでは挑発を受けた長州達の2試合が組まれ大暴れしていた。来年からの戦い模様を暗示して、激動の84年は暮れた。
「鶴田・天龍とイデオロギー闘争をやってみたい」長州は熱く宣言した。この動きを煽るようにプロレス雑誌には鶴龍と長州が頻繁に躍ったが、馬場はマスコミに厳しくクギを刺した、「ジャンボと長州が同格に思われる写真は困る」。決して全日の社長としてではなく長年プロレスをやってきた1レスラーとしての意見である。理屈に合わない、基本もセオリーも無視したプロレスを馬場は理解しなかった。だがそれが却って、何が出るか想像できないという部分でファンに支持されているということも同時に分かってはいた。馬場のバックにあったのは「一流選手はセオリーを踏み外さない」というプロレス理論である。そしてそれは全日の全選手の考えでもあった。肝心の鶴田はどうか、「色々な敵がいる中の1人に
                                                                                              長州が入ってきたと捉えている」、至ってクール。
                                                                                              逆に燃えたのが天龍。「鶴田の相手がオマエなんかに務まるか!俺に目を向
                                                                                              けろ!」85年1.2〜4の後楽園ホール3連戦で両者はタッグで激突、どちらも
                                                                                               感情むき出しのファイトを見せた。この激しいぶつかり合いは天龍の右足
                                                                                               首のケガを誘い欠場に追い込んでいる。そして迎えた2.5東京体育館、この
                                                                                               シリーズ最終戦で鶴龍vs長州・マサ斎藤のタッグ頂上対決が実現。試合前
                                                                                               にはどちらもリング上でのハッキリとした勝負を公言し、エキサイトしな
                                                                                               がらも要所はキチッと締めるというガップリ四つの凄まじい試合となっ
                                                                                               た。残念ながら決着はつかなかった(16’35”/両軍リングアウト)が、鶴田の
                                                                                               懐の深さとそれを信用した天龍の厳しい攻撃、何より鶴龍のコンビネー
                                                                                               ションをお互いが肌で感じていた。
                                                                                                2.21大阪城ホールには12,000人が集結した、目当ては3つのシングルマッ
                                                                                               チ。鶴田が谷津を一蹴し(11’23”/ジャンピングニーでリングアウト)、馬場
                                                                                               はキラー・カーンをラフファイトで攻め(9’20”/反則勝ち)、残すはメイン
                                                                                               の長州vs天龍。闘志満々で入場する両雄。馬場はもちろんだが、鶴田も横
                                                                                               綱相撲で格の違いを見せつけた。完全に火をつけられた天龍。ゴング前に
                                                                                               ラリアットで奇襲攻撃を仕掛ける。パワーボムを初公開。とにかくこの日    
                                 は 攻めまくる。しかし最後は突然訪れた。エプロンでの長州のバックド
                                                                                               ロップ!まさかの技に天龍は場外に転げ落ちた。最初のライバル対決はこう            
                                                                                               して終わった(9’12”/リングアウト)。「お前、こんな結果で納得してるの
                                                                                               か!答えろ、天龍!」、長州は次の戦いを予告した。
                                                                                               その「次の戦い」は6.21日本武道館で実現。この日に行き着くまでひとつ
                                                                                               の動きがあった、2月のシングルを見て鶴田が対戦に名乗りを上げたのだ。
                                                                                               鶴田よりも先に成果を出したい、そして自分に熱い目を向ける長州をもっ
                                                                                                とクギ付けにし、今度こそ勝ちたい。反発する天龍は2週間前にテストマッ
                                                                                                チとして組まれた6.6金沢産業展示館での谷津とのシングルに完勝
                                                                                                 (16’54”/リングアウト)し、鶴田にこの試合を譲らせた。試合後のマイク
                                                                                                にも意気込みが見せた「長州!ベルトはここにあるぞ!いつでも取りに来
                                                                                                い!」。
                                                                                                そしてその叫び通り、この試合は天龍が「命の次に大事」と常に言うUNの
                                                                                                タイトルマッチ。リング上で対峙する2人、長州が手を出すと天龍はベル
                                                                                                トを差し出した。そしてこのベルトを投げ捨ててしまった、「俺は挑戦者
                                                                                                じゃない、対戦者だ!」。天龍の張り手と共に急遽ノンタイトル戦になった
                                                                                                この試合、怒り狂う天龍と熱くなるも冷静に攻める長州の戦いは、突如逆
                                                                                               上した長州がチャンピオンを血ダルマにする大暴走(19’02”/天龍反則勝ち)
                                                                                                で終わった。
                                                                                                この激しい試合を目の当たりにした鶴田はますますシングル対戦に向かっ
                                                                                                ていく。11.4大阪城ホール。ジャンボ鶴田vs長州力。両者リングアウトな
                                                                                                しの60分1本勝負。今、日本で見られる最高の頂上対決を見るために集
                                                                                                まった観客は9,500人。16年ぶりの阪神優勝に沸く関西の関心をプロレス
                                                                                                会場に呼び戻した。そしてその結果は…。戦前、鶴田が予告した通り、長
                                                                                                州にとっては未体験ゾーンであった60分フルタムドロー。年間ベストバウ
                                                                                                トに輝いたこの試合はレスリング出身者同士らしい玄人好みの戦いになっ
                                                                                                 たが、中盤以降スタミナ切れの長州を最後まで鶴田が引っ張りまわしたと
                                                                                                いう意見が今では大勢を占める。試合終了のゴング連打を聞いて両手を
                                                                                                 高々と上げる鶴田の姿が印象的。尚、これ以後両者のシングル対決は実現
                                                                                                 していない、長州はこの試合直後に動けないくらい体力を消耗したという
                                                                                                 ことだが。一方の鶴田はシャワーを浴びた後、渕正信と共に笑顔で大阪
                                                                                                 の街に消えている。長州はつぶやいた、「深い…、奥が深いよ、鶴田                
                                                                                                  は」。
この月から始まった世界最強タッグのリーグ戦はハンセン&デビアス組が優勝したが、このチームに鶴龍、長州&谷津、そしてロード・ウォリアーズの4チームのインタータッグのベルトを巡る抗争が本格化していく。当然主役は鶴龍と長州組。86’1.28東京体育館では王者組が返り討ち(22’21”/天龍の谷津へのパワーボム)、しかし2.5の札幌中島体育センターでは逆に谷津が天龍からフォール(24’01”/ジャーマン)を奪い新王者になる目まぐるしい展開と対抗心を見せる。3.3日本武道館では全日軍とジャパン軍の6対6シングル対決、天龍は谷津と30分ドロー、長州は三沢タイガーを葬り(12’20”/ラリアット)、鶴田は闘志溢れる浜口を破る(12’43”/フライング・ボディシザース)。対抗戦全体では2勝2敗2分とどちらも譲らず、ますますヒートアップする対抗意識を表している。
シングルでも鶴田・長州・天龍は各々のベルトでインパクトを残す戦いを見せしのぎを削った。長州は4.5横浜文化体育館にてハンセンとのラリアット合戦からPWFのベルトをもぎ取り(18’27”/反則勝ち)誰にも譲らない。天龍も一度は返上したUNを、4.26大宮スケートセンターでの決定戦でデビアスを下し(21’07”/首固め)再びその腰に巻いた。一方の鶴田はインター王者として17回もの防衛を続け、7.31両国国技館ではハンセンの前に屈服したが、10.21の同じ両国でリベンジ(19’37”/後方首固め)して見せる。特にこの日は全日の創立15周年記念大会にも関わらずメインは長州vsテリー(16’27”/サソリ固め)と他団体の人間に主役を譲っている。それくらいこの3者は実力は拮抗していた。ベルトの格ではない、それぞれが「王者」としてどれだけ凄いファイトをみせられるか、それがこの頃の競争心となっていた。そして勝ったのは天龍、この年初めてプロレス大賞MVPを獲ったのだった。寺西や浜口をバックドロップで病院送り・長期欠場に追い込んだ鶴田も敵わなかった。
そして一番強いチームとしての称号・インタータッグに鶴龍は3度挑んだものの手元には引き戻せない。そんな中で迎えた最強タッグリーグで優勝した鶴田と天龍は、年が改まった87'2.5、満を持して選手権試合に臨んだ。場所は札幌中島体育センター。因縁の日、因縁の場所で1年前に流出したベルト。激しく攻守が入れ替わる試合を制したのは天龍だった(17’05”/谷津へのジャーマン)。咄嗟に出た、練習したことがない技で全日の至宝を遂に取り戻した。嬉しいことは嬉しいのだが、天龍は長州の妙にサバサバした態度が気になった。レフリーに抗議するセコンド陣を制して、穏やかな笑顔で谷津の肩を叩く長州に。そして…。
この試合を最後に長州力が全日マットに上がることはなかった。



4 4.27両国国技館には新日本プロレスの大一番、猪木vsマサ斎藤の試合が行われた。この試合を長州は客席から見守っていたが、血みどろになった師匠・斎藤の敗戦に激高し新日と藤波辰巳に宣戦布告。この行動は主戦場を新日マットにする、ということを意味する。この時、長州は新日プロとの不思議な縁、そして切っても切れなくなった絆を感じた。「アマレスから転向する時、俺は全日でも新日でもよかったはずのに…、鶴田が全日に行ったからだったのに…」。
天龍はイライラしていた、怒りの捌け口がないことにイライラしていた。これまでの長州のファイトスタイルが天龍に火を点けたから、我の強さを武器に気持ちで闘う天龍の核の部分に火を点けたからだ。その炎が新日へ去り、パワーとテクニックを見せるプロレス、あまり気持ちを必要としないプロレスが全日のリングに帰ってきてしまった。リング上から急激に熱が冷めるのを感じた、観客からも、そして天龍自身からも。事実、観客動員は減っている。なんとかしなければ、団体のためにも自身のためにも。俺は激しさをリングに上げたいんだ、この気持ちをリングに持ち込みたいんだ。この熱い思いに応えられるのは誰だ、もうジャンボ鶴田しかいない。お前が引っ張らなければ何も変わらないんだ。だが長州でさえ本気にさせられなかった天才を振り向かせるのは並大抵のことではない。が、今の俺なら出来る。今の、俺の本気を全身で受けられる相手は鶴田しかない。いや、逆に俺が天才の本気を引き出してやる。全日マットでの
最高の試合を見せてやる。
かくして、盟友・阿修羅原と共に天龍革命は始まった。87'6.6の長門市トレーニ
ングセンターで輪島大士・大熊元司組を血祭りに上げ(11’43”/原の大熊への
バックドロップ)、観客にも選手にも度胆を抜かせるが、モニター越しの鶴田の
ショックは他選手の比ではない。この間まで鶴龍コンビ「主と従」の従を寡黙に
務めた男が、大熊に気合いを入れた顔面蹴りをしている…。むしろ鶴田には何が
起きたのか理解できなかった。これは一体何なんだ?一番身近で見てきた男が、
自分の知らない姿を見せている。
この理解不能な行動を確かめる機会はすぐに訪れた。6.20大阪府立体育館。
天龍・原vs鶴田・タイガー。天龍のファイトスタイルはたとえ相手がエースで
あろうと決して揺るがない。タイガーに、そして鶴田に気迫を全面に打ち出した
闘いを挑んできた。天龍の激しいチョップが胸板を突き刺した瞬間、鶴田の
何かが弾けた、いやずっと忘れていたものがエースの手に甦ったのだ。「ナメ
るな!俺がジャンボ鶴田だ!」誰も見たことのない“怪物”がそこにいた。何ら
遠慮のないエルボー、バックドロップ、大技の数々が天龍をえぐる、原を貫く。
この怪物の蘇生に天龍も原も血を滾らせた、鶴田にサンドイッチラリアットを
打ち込む、そして打ち込む、更に打ち込む。止めるレフリーを投げ捨てて打ち
込んだ(18’30”/鶴田組反則勝ち)。そこには遺恨はなくパワーとテクニック、
そこから引き出されるレスラーとしてのプライドを競う抗争が生まれた。
そんなタッグでの熱い攻防を1月も続けた頃発表があった。ジャンボ鶴田と
天龍源一郎の一騎打ち。8.31日本武道館のメイン。抗争が始まって早々での
当事者同士のシングル決戦は全日では異例の決定である。従来はじっくりと
対決ムードを高めて高めて、選手・観客・マスコミの熱が沸点に達した時に
満を持して切り札を出すのが馬場のやり方だった。ましてや全日正規軍と
天龍同盟の大将同士の対決なのだ。が、毎日繰り広げられる激しいぶつかり
合いを見て観客はもちろん、馬場までも魅せられていた。この試合はファンの
要望でもあり馬場の要望でもあった。
かくして武道館のマットに2人は対峙した、別々のコーナーに。両者の入場
だけで観客のボルテージは最高潮、鶴田側のセコンド陣も天龍同盟の阿修羅原も顔を紅潮させている。しかし当の2人は不思議と落ち着いていた。鶴田にすれば「これまで全日マットをかきまわしてきた男」と、天龍からすれば「俺が本気で怒らせたい男」との一戦、それがいざ目の前になると2人共に肝が座った。過去に2回実現している対決(82'4.16/83'4.16)はどちらも30分のドロー。まさに総決算の大一番。
試合はこれまでと逆の形になった、攻める鶴田に受ける天龍、のっけから鶴田の溜まっていた感情がスパークする。サポーターを外したジャンピングニー、ラリアット、卍。遂に本気になった怪物は殺人技を連発、しかし叩き上げはジャーマン、延髄、パワーボムで撥ね返す。乾坤一擲の大勝負。分けたのは20分過ぎ、エプロンの鶴田とリング内の天龍のラリアット相打ち。リング上で動けない天龍、ロープに足を取られ動けない鶴田、全てはその最後の場所で決まった。21’35”、天龍のリングアウト勝ち。
総決算のはずだった試合は第一章に過ぎなかった。押し気味に試合を進めたにも関わらず体力を残しての敗戦に鶴田は激昴する「俺のどこが負けだ!次にやったら絶対に俺が勝つ!俺があんな格下にフォール取られる訳ないだろう!」。一方の天龍も憤慨していた「なんだ、あのみっともない負け様は!正々堂々と勝負しろ!次はキッチリ3カウント取ってやる!」。
それでも天龍はしみじみとした満足感に包まれていた。ラッキーな形とはいえ、
あの完全無欠の天才に勝った。あのジャンボ鶴田に、俺は土をつけてしまった。
そう思うと天龍のグラスはどんどん空になった。が、徐々に大変な状況に気が
付いた「俺はしばらく“あの”鶴田を相手にしなければならないのか…」。
両者は10.6日本武道館での再び向かい合った。またも意地と技が火花を散らす
この一戦となったが、天龍を大流血させた鶴田が制止するレフリーを投げ飛ば
す暴走ファイト(/天龍反則勝ち)。激情が爆発し感情を抑え切れない鶴田の姿を、
満場の観客は初めて目の当たりにするという衝撃的な結末。鶴田は闘争心を
大炎上させる、そうでなければ対抗できない位置にまで天龍は到達している
ことを世間に知らしめる、これはひとつの“事件”だった。
鶴田と天龍はリング以外でも戦っていた。それぞれの価値観で、人生観で、
プロレス観で戦っていた。あくまで仕事としてプロレスをしている鶴田
「そんなに必死にやっている姿なんか人に見せるなよ」、24時間プロレスを
考えている天龍「のほほんとプロレスを簡単に考えるな」。「ジャンボに言
いたい、エースと呼ばれトップに立つ人間は全日本のリングをもっとよく見ろよ、
と。どうしたら全日本のリングがよくなるかをもっと考えろよ、と。あんな
ヤツは絶対認められない!」。反対に鶴田は言う「眉間にシワ寄せて24時間
プロレスは命、って必要あるの?少なくとも俺には必要ないんだ。大体プロ
レスラーは一生できないんだよ。現役の内に人生設計しなきゃ、後々プロレス
界に迷惑かけるんだからね」。そこにはムキになって持論を説く鶴田がいた。
片や天龍は少人数で大集団に反旗を翻した立場、反骨心・嫉妬・不満、常に
モチベーションとなるものを探していた。鶴田に関するものならば何でも気に
触った時期でもあった。ある日、マスコミを交えて朝まで飲んでタクシーで
帰る時、敢えて鶴田の自宅前を通らせた、「あぁ、凄い家だなぁ」。ふと妻と
娘の顔が浮かび、自分の選んだ道は間違っているのかとの思いがよぎる。
特に毎日の打ち上げのためにかなりを持ち出すにも関わらず、粛々と夫に従う
妻・まき代の面影に天龍は苦しくなった。が、次の瞬間には明日の試合への
ステップに変えた、「今に見てろよ」。
2人の戦いはもちろんタッグ戦線でも繰り広げられた。天龍・原が9.3愛知県
体育館でPWFタッグ王者になると、鶴田は全日正規軍のナンバー2となった谷津をパートナーとして対抗した。この2月前はタイガーマスクを従えてこのベルトを巻いていた鶴田だったが、龍原砲の力とコンビネーションを見てもうワンランク上のパートナーの必要性に迫られたのだった。この経緯で生まれたオリンピック・アマレス代表同士の五輪コンビ、戴冠は翌年まで待たねばならないがアマチュア時代の実績をバックボーンとする実力者チーム、立ち塞がるには十分過ぎる強力なチームである。そしてこの五輪コンビは年末の世界最強タッグでは力を存分に見せつけ、12.11日本武道館での決勝戦ではブロディ・ジミー・スヌーカから初優勝(16’51”/谷津のスヌーカを片エビ固め)を奪い、龍原砲の勢いを止めた。この年の最優秀選手賞は2年連続で天龍、年間最高試合賞は8.31の天龍vs鶴田、最優秀タッグチーム賞も龍原砲、鶴田は苦汁を舐めさせられたが来る年への捲土重来を誓った、「俺の方が格上なんだ」。




5 天龍革命に触発されて外国人パワーファイター達の勢いも増していたが、年は明けた88年、鶴田は一気に浮上した。4.19宮城県スポーツセンターではインター王者・ブロディからベルトを獲り(20’34”/雪崩式ブレーンバスターからバックドロップ)、6.4のPWF戦では五輪コンビは肋膜亀裂骨折を圧して出場した原を叩き潰した(22’53”/谷津の原へのジャーマン)。この日は天龍革命1周年記念日だっただけに無茶をした原だったが、逆に鶴田は絶対に祝福させまじとの思いで試合に臨んでいた。なぜなら遡る3.9には横浜文化体育館で天龍はハンセンをピンフォールし(14’40”/首固め)UN&PWFの2冠王になっていたからだ。ここで天龍組に防衛させてはますます勢いづかせ追いつけなくなってしまう。そう、今や天龍と鶴田の立場は逆転していた。この日の天龍のコメントが物語る「今日の負けはなんら恥ずかしくない。何かが吹っ切れたよ。気負いと不安が強かったけど、なんとか1年経ったんだもんな。試合じゃなく精神面では誰にも負けないでやってきたって自負があるんだ」。天龍は笑った。鶴田は6.10、不思議にイライラ感をもって日本武道館に向かった。「負けたくせに強がりやがって。クソ。だったら今日で差をつけてやろうじゃないか」。新PWFタッグ王者はインタータッグ王者のロード・ウォリアーズとダブル選手権で対決することになっていた。前日の桐生市民体育館でのノンタイトル戦で粉砕された(7’56”/谷津へのダブルインパクト)こともあり、余計に怒る気持ちが力と技を最大限に引き出し鶴田は大車輪のファイトを見せ(13’48”/反則勝ち)、五輪コンビは初めて2つのタイトルを統一した世界タッグ王者組となった。快挙を達成し、試合前の不機嫌を一掃した鶴田の満面の笑顔がリング上で光っていた。
                                                                                                            それでも、若手中堅層の意識までも変えさせ群雄割拠と化した全
                                                                                                            日マットはそう簡単に1チームの独創を許さない状態。7.29高崎
                                                                                                            市中央体育館の初防衛戦ではハンセン・テリー・ゴディ組が勝ち
                                                                                                            (16’54”/ゴディの谷津へのパワーボム)、更に7.31函館市千代ヶ
                                                                                                            台陸上競技場でのリベンジマッチでその防衛を許さない(14’47”/
                                                                                                            谷津のゴディへのジャーマン)。8.29には日本武道館で龍原砲がベ
                                                                                                            ルトを持ち(29’51”/天龍の鶴田への首固め)、翌日8.30には大阪
                                                                                                            府立体育会館で五輪コンビが腰に巻いた(25’18”/鶴田の天龍への
                                                                                                            バックドロップ)。目まぐるしく移動するベルト、もはやベルトを
                                                                                                            持っているだけでは一番強いとは言えないくらい各レスラー、
                                                                                                            タッグチームの力はハイレベルな火花を散らしていた。
                                                                                                             そんな中、満を持して3度目の鶴龍対決が行われたのは10.28、
                                                                                                             横浜文化体育館。タッグ戦でお互いがピンフォールを奪い合った
                                                                                                             ことで過去2戦とは違う別の気合が両者を包んだ、特に天龍は2
                                                                                                            つのシングル王者からもタッグ王者からも陥落し無冠となってい
                                                                                                            ただけにこの試合に賭ける意気込みは尋常ではなかった「ここで
                                                                                                            ジャンボに舐められたら一生こいつの上にはいけない」。長丁場
                                                                                                            になったこの試合、この天龍の思いが最後に空回りしてしまっ
                                                                                                            た。30分に近づいた頃、天龍のキックが鶴田の急所を打ち両者は
                                                                                                            大荒れのファイトとなる。そしてコーナーに崩れる鶴田をストン                    
                                                                                                            ピングを張り手を打ち続ける、レフリーが止めても手を緩めな
                                                                                                            い。試合終了のゴングが鳴って、天龍はやっと自分の負けを悟っ
                                                                                                            た(34’45”/鶴田反則勝ち)。奇しくも1年前の直接対決とは全く
                                                                                                            逆の結果に終わった。2人の戦い・精神状態はギリギリのところ
                                                                                                            にまできていたということである。
                                                                                                            そのすぐ後の11.19、天龍はもちろん鶴田をも驚かせる発表が馬            
                                                                                                            場の口から出された。天龍同盟の片輪・阿修羅原の解雇。これま
                                                                                                            でタッグ戦だけでなくシングル戦でもセコンドから檄を飛ばし共
                                                                                                            に戦ってきた、天龍の生き方をサポートしてきたとも言える唯一
                                                                                                            無二の盟友。天龍革命は2人で成し遂げたものだった、それなの
                                                                                                            に…。失意の天龍だったが、この日から開幕した世界最強タッグ
                                                                                                            には川田利明を抜擢しリーグ戦を戦った、落ち込んだ姿を見せて
                                                                                                            は原も心配するだろうとの思いを胸に戦い抜いた。「だったら話
                                                                                                            は早い、天龍だけ相手にすりゃいいんだ」、鶴田・谷津の五輪コ
                                                                                                            ンビvs天龍・川田のリーグ戦は12.10札幌中島体育センター。そ
                                                                                                            うはいってもこの間まで原がいたから互角に戦えていたのに…、
                                                                                                            変な同情心が鶴田の頭に持ち上がった。その表情に天龍はリング
                                                                                                            に上がった瞬間なにかを嗅ぎ取る「ナメんじゃねぇ!」。ゴング
                                                                                                            前に鶴田の頬を張る、「ジャンボ!オマエが出て来い!」。一発
                                                                                                            で無駄な感傷が吹き飛ぶ。天龍の逆水平チョップをいきなり浴び
                                                                                                            る「バッチーン!!」。自分の愚かさ、人のよさに鶴田は恥じた。
                                                                                                            その影響は試合に響き、伏兵・川田のなりふり構わぬファイトに
                                                                                                            足を掬われる結果に(21’06”/天龍が鶴田をリングアウト)なっ
                                                                                                            た。最後の12.15日本武道館ではハンセン・ゴディ組との対戦。
                                                                                                            子供扱いで袋叩きに遭った川田が中盤にヒザを痛めて戦線離脱、
                                                                                                            最後は10分以上ローンバトルを強いられた天龍がハンセンから3カウント(21’02”/ハンセンの天龍へのラリアット)を許した。来年からは川田とサムソン冬木、まだ新人の小川良成だけで戦っていくという事実を体に刻んで年は暮れた。尚、この年の最優秀選手賞も天龍でこれで3年連続、年間最高試合賞も獲得している。
当然、89年からは天龍同盟の戦い模様も変化した、変化を余儀なくされた。川田が冬木が猛攻を耐えて耐えて、その後になんとか天龍にスイッチするという形態に。実際、鶴田や谷津、カブキ、外人勢との力量の違いは明らかだった、最大の武器は精神力、特に忍耐力だった。皮肉にも天龍プロレスの真骨頂である“耐えるプロレス”を弟子たちに強いる形になってしまった。そんな中、突然ハンセンが天龍に手を差し伸べたのだった。過去に幾多の死闘で相対した2人は互いに認めている、最近の天龍の戦い振りにハンセンは眉をひそめていた。特に昨年暮れの最強タッグでの天龍の孤軍奮闘の凄さが目に焼きついていた。3.29後楽園ホールでのUN&PWFの二冠戦で、ハンセンは天龍の2度目のパワーボムを切り返して強引に押し潰した(20’20”/ハンセンの天龍へのリバーススープレックス)が力量を再確認させられた。「オマエはトップに立っていなければならない男だ、そのためならオレが力を貸そう」。この動きからすぐにカードが組まれた、4.4横浜文化体育館、鶴田・谷津への世界タッグ選手権。手の内を知り合う最大の宿敵同士が組むことで、天龍も久し振りに安心してファイト、スムーズな連携も飛ぶ出しチャンピオンチームを青色杜息に追い込んだ(27’28”/谷津が天龍からリングアウト)。ダウンする谷津をリング上に残すという結果で防衛は許したが、気持ちが通じ合うパートナーに、今後の明るく行く末を見た思いがした。ハンセンも同様、試合にも自分の選択にも満足していた「オマエはやはりベストパートナーだ。次は絶対だ」。
4.18大田区体育館、鶴田はまたも偉業をライバルより先に果たした。PWF&UNの二冠王・ハンセンとインター王者としての統一戦はこの2日前の無効試合を受けての再戦。統一を意識して慎重に攻める鶴田とベルトと関係なくいつも通りラフファイトのハンセン。大技のラッシュで鶴田を追い詰めるハンセン、フラフラの鶴田にフィニッシュのラリアットを放つ。これをよけられロープに額を激しく殴打してしまう。この隙を鶴田は見逃さなかった、反動で戻って来た巨体を丸め込む(17’53”/体固め)。試合内容はともかく鶴田は結果を出した、不沈艦を撃沈させ初の三冠統一王者に輝いたのだ。この時点で世界タッグと併せ、これまた初の五冠王となった。相棒の仇は俺がとる、ジェラシーにも駆られ三冠王者の初防衛戦に天龍は即座に名乗りを上げた。そもそも最初にこの3つのベルトをまとめようとしたのは前年4月、インター王者のブロディとぶつかった当時二冠王の天龍である。2日後、4.20の決戦の地は大阪府立体育会館、ここはそのブロディ戦の地である、天龍に並々ならぬジェラシーが湧き上がった。偉業を達成した男はその自信を全身に漲らせ、怪物ぶりを如何なく発揮した。トドメを刺さんと天龍が仕掛けたパワーボムをリバースした鶴田は、逆にパワーボムを狙う。危険な角度。「あっ!」思った次の瞬間、天龍の首はキャンバスに突き刺さった(16’03”/体が崩れて体固め)。3カウントが入っても天龍は起き上がらない。失神。病院に担ぎ込まれた天龍は1月間欠場に追い込まれた。天才であり怪物と呼ばれる男の怖さを見せ付けた光景だった。


6 復帰間もない天龍は雪辱を期して鶴龍対決第5章に望んだ。6.5日本武道館。15,200人という武道館新記録の大観衆が2人のライバル対決を見守った。前回のピンフォールで天龍に対しても自信を植え付けた鶴田は短期勝負を狙いゴングと同時にジャンピング・ニーパットを放つ、が天龍はこれをキャッチしジャーマンで投げつける。気迫だけは絶対に負けないつもりでいただけに、この奇襲で天龍の闘志を逆撫でした。鶴田は大技を連発させる、フォールの体勢に入る、天龍がカウント2で返す。何度も繰り返しその都度客席は足を踏み鳴らしてエキサイトする。大歓声でまさに武道館は揺れる。耐え続けた天龍は焦る鶴田の一瞬のスキを見つけた、延髄斬りが炸裂。一発で流れを変える値千金の重いキックが鶴田の後頭部を貫く。ラリアットをかわした天龍のラリアットが鶴田の喉に食い込む。一気にパワーボムで押さえる、そしてパワーボムの2連発。全気迫を乗せて全体重を乗せて鶴田を押さえ込む。3カウント。鶴田から初のピンフォール(24’05”/パワーボム)、この日最大の地震が武道館を包んだ。観客だけではない、ハンセンもこの第2代三冠王者を祝福する。3本のベルトを高々と掲げる新チャンピオンに降り注ぐ、満場の大天龍コールはいつまでたっても止むことはなかった。この熱闘はまたも年間最高試合賞を受賞したが、一般でも今だに語り継がれるベストバウトとして名高い。
天龍とハンセンの龍艦砲もチームとして本気になってきた。7.11札幌中島
体育センターで五輪コンビから世界タッグを強奪する*。7.22石川県産業
展示館では前王者組に取り返されるも(21’58”/鶴田がハンセンを首固め)、
10.20愛知県体育館で再びその手に戻した(22’28”/ハンセンの谷津へのラ
リアット)。この3日前に鶴田のイス攻撃で背中を負傷したハンセンは自慢の
パワーを生かせず、天龍とのコンビネーションでモノにした勝利、チーム
としてのベルト獲得だったため天龍もハンセンも喜びはひとしおだった。
シングルのベルトは10.11横浜文化体育館で破壊力のある鶴田のフロント
スープレックスやラリアットに屈服(22’38”/天龍のパワーボムを切り返し)
しまったものの全く気にしていなかった、むしろ三冠の重圧から開放されて
ホッとしたくらいだった。その内取り返してやるという自信があった。今
は本当の意味での最強のチーム、誰にも負けない絶対的なタッグチームを
作ることに天龍は腐心していた。それを実現できるパートナーが横にいる
のだから。原と同じくらい気持ちが通じ合い、同じくらいスパートし続け
る男と肩を並べているのだから。これについてはハンセンにも異存はなか
った。それを証明すべく愛知で獲得したタッグベルトを一度返上した、目
の前に迫った世界最強タッグのリーグ戦を制したチームが新チャンピオン
チームになるという前提で。そして有言実行、天龍・ハンセン組は史上初
の全勝優勝を成し遂げた。これにより誰憚ることなく堂々とベルトを巻く
こととなった。名実共に最も強いタッグチームが誕生したのだった。ただ
その陰で、2人をサポートする川田・冬木の疲弊感を軽んじていたことに
天龍は気付いていなかった…。
ハンセンは常時日本にいるわけではない、シリーズ毎の契約なので来日す
るシリーズもあればいないことも当然ある。ハンセンのいない時はやはり
当初の通り、川田や冬木と組むことになり、彼らも全日正規軍の猛攻を
全身で受け止めねばならない。鶴田のパワーを、谷津のテクニックを、
タイガーのスピードを、カブキのキレを、ゴディのパワーを、ブッチャー
・シンの凶器を…。体に疲れが溜まっても試合を休むわけにはいかない、
天龍の厳しい指導もある。それを和らげていた原はもういない。同盟はギクシャクしてきた。特に天龍と冬木が揉めることが多くなってきていた。全日マットに活気が戻り、選手もファンも熱くなり、天龍同盟の最初の目標は果たした。いつしか天龍の心の内に迷いが生じていた、成長した今の川田と冬木なら正規軍に戻してもいいポジションに就けるだろう、いや全日の活況はアイツらも含めて俺たち天龍同盟が頑張ったからだ、今更変えることなんてできない。天龍の頭は堂々巡りが繰り返された。
そして90’3.6日本武道館、天龍にショッキングな出来事が襲う。世界タッグ
王者組はゴディとスティーブ・ウィリアムスの殺人魚雷コンビの挑戦を受ける。
だがこの試合に辿り着くまで天龍は大きなハンデを背負っていた。この2週間
前に右足首を負傷、2.24一宮産業体育館での鶴田・カブキ・マイティ井上vs天
龍・川田・冬木の6人タッグではその足を攻められ、デビュー以来初めてギブ
アップ負け(15’45”/鶴田のインディアン・デスロック)を喫し、3試合欠場して
いる。1週間後に復帰するも、実情はしばらく完治する見込みがないため見切り
発車しただけだった。試合になるとどの選手も執拗に天龍の足を攻める。天龍
はとてもタイトルマッチを乗り切れる体ではなかった、それでも武道館新記録
を更新する15,900人超満員札止め、立錐の余地もない客席は天龍の奇跡を信じ
た。体調最悪ながらファンの絶大なる後押しを受けた天龍は勇躍、ド迫力のス
ーパーヘビーの闘いに割って入った。分岐点は12分過ぎ、パワーボムを狙って
踏ん張る天龍にウィリアムスがタックルをかます。この瞬間、天龍の足首に激
痛が走った。うずくまる天龍にウィリアムスのストンピングの嵐、ゴディのサ
ソリ固め、交互にトーホールド。足に攻撃を集中させる外人コンビに戦闘不能
の天龍の顔が歪む、思わず悲鳴が漏れる。そして最後は、イスを手に救出に入
ったハンセンの目前でやはり天龍はタップしてしまい(17’06”/ウィリアムスの
インディアン・デスロック)王座から転落してしまった。これにハンセンは怒り
狂った、あのベストパートナー・天龍が自分から負けを認めるという現実が許
せなかった。「オマエへのリスペクトはなくなった」痛めている天龍の右足を
ブルロープで締め上げる。「いかんっ!」、ここに飛び込んできたのが、誰あ
ろう鶴田だった。鶴田はハンセンに殴り掛かる、ロープが外れた天龍もハンセン
に突進する。そして返す刀で、なんと助けに来た鶴田にも襲い掛かった。
天龍はハンセンとも鶴田とも組まないと態度で示した。そしてハンセンはダニー
・スパイビーとのタッグを宣言した「オレは諦めない奴と組む」。鶴田は…、それでも天龍と組むことを願っていた。最強のチームを作りたいという思いは鶴田とて同じ、互いに切磋琢磨してトップの位置に就いた今の天龍とならそれが可能だ。今の天龍は俺と同じ高みにいるんだから。ならば天龍を全日正規軍に戻すしかない。ずっと考えていた鶴田の気持ちが咄嗟に行動に移ったのだった。しかし天龍にはそんな気はさらさらなかった「ずっと頑なにやってきたのに、今更会社の歯車に組み込まれてたまるか、少なくとも、俺だけは…」。ずっと考えていた、夜も眠れなかった。が、俯いた川田、不貞腐れる冬木を見て天龍の腹は決まった。4.7馬場の記者会見、「天龍同盟は今日を以って解散します」。翌日から天龍の控室には付人以外誰もいなくなった。
それからの天龍は若手中心のシングルマッチのみ消化していった。そして4.19横浜文化体育館、鶴田との三冠戦が組まれる。だが今回は過去の闘いとは全く違う、鶴田との1対1なのにモチベーションが上がらない、全く集中できない。こんな状態で勝つことはおろか、いい試合にだってなるはずがない。鶴田が檄を飛ばす「やる気がないなら俺がやる気にさせてやる、いつもの天龍にしてやる」。それでも挑戦者は明らかな虚脱状態、「今度ジャンボに負けたら、俺、辞めるよ」。闘志を奮いたせるために出した言葉かもしれない、それでも仮定の話ながら負けた時のことを口にしている。4,900人超満員札止めの観客が騒然とすることが起こる、試合前の天龍に更なる不幸が襲う。突如、ハンセンが乱入し、天龍にラリアットを一閃加えてしまったのだ。この暴挙に怒った鶴田はテーマ曲「J」が響く前にリングに躍り込んだ。「ツルタ、オレと戦え!」とアピールするハンセンを蹴散らし、KOされた天龍を気遣った。その瞬間、鶴田の頬に天龍の強烈な張り手が直撃した。慌てて鳴らされたゴングの音色と共に怒った鶴田はニーパットからバックドロップ、体を反転させて天龍が潰す。天龍が早くもパワーボムを繰り出す。鶴田がニードロップを落とす。序盤から大技の連発だが、試合前のラリアットの影響が天龍に重く圧し掛かった、首がおかしいしスタミナも少ない。鶴田のバックドロップ、そしてもう1発。これを鶴田はガッチリとホールドし、あっさりとピンフォールを取ってしまった(12’32”/バックドロップ・ホールド)。ベルトを巻いた鶴田がマイクを握った「ハンセン!試合をメチャクチャにしやがって!出て来い!」。するとハンセンが凄い勢いで入って来た「次の挑戦者はオレだ!」、鶴田と激しくやり合う。殴り合う、鶴田はイスを手にする。リング上の大乱闘を後目に静かにリングを去る天龍に大観衆は気付かなかった。「落ちるところまで落ちた。もう終わったよ…」。鶴田と天龍がリングで向かい合うのはこれが最後になった。
4日後、4.23に天龍は馬場に辞表を提出、そして新団体・SWSへその身を投ずることを発表する。八方塞りでがんじがらめになった天龍には全く新しいリングしか選択肢が残っていなかったのだ。そしてこの団体はメガネスーパーを母体とする莫大な資金を元に準備、スタートさせるという計画が大々的に報道された、特にバブル全盛時代という社会状況もこの報道に拍車を掛けたのだった。天龍はあくまで今までとは違う新しい環境で思い通りに戦いたいという気持ちしかなかったが、これまでのプロレス団体にはない潤沢な資金面があまりに極端にクローズアップされた。
虎のマスクを脱いだ三沢光晴は「天龍さんは悩んだ末に決めたんだろうし、周りがとやかく言うことじゃない。これからも頑張ってほしいという気持ちの方が強い」とエールを贈った。だが鶴田にとってはキレイな言葉など口にできなかった「最近は源ちゃんと話してないから事情は知らないし、今は多くを語りたくない。はっきり言って寂しいし裏切られたと思ってる。仲間じゃないか。俺ぐらいには少しでも言ってくれてもよかったんじゃないのか?今後どうなろうとも天龍とは人生観、価値観が交わることはない。天龍に対してひとつだけ言いたい、向こうに行っても”全日本の天龍は強い、凄い“というのを見せて自分の道で頑張ってほしいということくらいだ」。鶴田にしか分らない、長年の密度の濃い時間を過ごした男の怒りと哀惜が入り混じった複雑な感情。尚、後日天龍から別れの電話があり、鶴田も怒りつつもエールを贈った「全日本の天龍の強さ、これだけは絶対見せろよ」。



7 時は流れた。三沢や川田たちの超世代軍と毎日沸点を超えるような試合を見せていた鶴田、92'7.4、横須賀市総合体育館でその“発表”があった。ジャンボ鶴田、右足首負傷で6年11ヶ月振りの欠場。報道各紙誌はこれを大々的に伝えた、もはや怪物と呼ばれて久しい底なしのスタミナとパワーを持つ男が、気迫をテクニックに乗せて戦う男が休む。8.20後楽園ホールの鶴田・田上・小川−三沢・川田・菊池毅の6人タッグで復帰し(25’37”/鶴田の菊池へのバックドロップ)ファンを安心させた。この頃は田上を引っ張ってタッグチームを組んでいるが、欠場前の鶴田とはどこか違う。8.22日本武道館ではゴディ・ウィリアムスと対戦しピンフォールを許す(24’48”/ゴディの鶴田へのパワーボム)、10.7大阪府立体育館でのゴディ・ウィリアムス戦では田上の奮闘で(25’38”/田上のノド輪落とし)世界タッグのベルトを奪取した。このまま勢いをつけて暮れの最強タッグリーグへ突入。しかしこの時までは誰も気付かなかった。鶴田の異変がまだ収まってはいなかったことを、この直後の検診によって満天下に知らしめた。
                                                                                 
                                                                                 突如、スポーツ新聞一面に驚きの記事が躍った「ジャンボ鶴田引退」、あまりにも衝
                                                                                 撃的な記事。11.13、世界最強タッグ決定リーグ戦前日に鶴田のリーグ戦欠場が発表
                                                                                 された。原因は内臓疾患。記事が伝える要点はひとつ、鶴田のB型肝炎。すぐの引退
                                                                                 はないだろう、が病気の進行を緩められてもなくすことはできない。この発症は鶴田
                                                                                 にとって人生を深く考える契機となった。そしてひとつの結論に至る、プロレスラー
                                                                                 というカテゴリーだけに収まるのをやめよう。アスリートとして様々なことを勉強し
                                                                                 たい欲求に駆られた。こだわりのない鶴田らしい発想は94年の筑波大大学院合格とい
                                                                                 う形で結実した。そして数年後には非常勤講師になる。
                                                                                  一方の天龍はその頃の所属団体もSWSからWARに変わり、新日との対抗戦の最前
                                                                                  戦で先頭に立っている時で自身にかかる責任、プロレスラーとして経営者としての大
                                                                                  きな責任に引っ張られていた。もちろん記事は気にかかってはいたが…。いつしか鶴
                                                                                  田がリングに上がる姿は年に数えるほどになっていた。そしてその都度、徐々に頬の
                                                                                  肉が落ちていく顔を見せる。最早メインに登場することは最後までなかった。

                                                                                 そして時は流れた。99'2.20、鶴田の引退が発表された。記事を見た天龍は鶴田の住む                    
                                                                                 オレゴンに電話を入れている。声を上げて驚き、また喜んだ鶴田。
                                                                                 
                                                                                  「えぇっ!どうしたんだよ?」
                                                                                  「いや、こっちじゃジャンボの体が大変だって報道されてるんだぜ」
                                                                                  「そうか…、変に心配かけて悪いね。新日本プロレスさんのIWGPチャンピオンに
                                                                                    (笑)。」
                                                                                  「ヤなこと言うなって。でも元気そうなんで安心したよ。」
                                                                                  「ゴメンゴメン。でもホント悪いな。今度帰ったら源ちゃんのとこ(寿司店)行くよ。
                                                                                    ゆっくり昔話しよう。」
                                                                                  「おう、いいね。絶対だぜ。」
                                                                                  「もちろんだよ。いい魚仕入れてくれよ。」
                                                                                  「とびきりのな。アハハハ!」
                                                                                    
                                                                                   3.6日本武道館、場内を轟くテーマ曲「J」に合わせ観客が大鶴田コールを叫ぶ中、            
                                                                                   ブレザー姿の鶴田はリングに上がった。「馬場さんに言われた“人生はチャレンジ
                                                                                   だ、チャンスを掴め”という言葉を信じて第2の人生に進みます」。別れの挨拶を残
                                                                                   しリングを降りた怪物の目に熱いものが光った。
                                                                                    結局、2人が店のある桜新町で相見まえることは一度もなかった。翌00年春には天        
                                                                                    龍の留守中に電話があったのだが…。この時、鶴田は天龍に何を伝えたかったのだ
                                                                                    ろうか。
                                                                                    そして00'5.13、肝硬変を肝臓ガンに転化させてしまっていたジャンボ鶴田の渡行
                                                                                    先・フィリピンでの客死が発表された。享年49歳。人生設計を考えながらリングで
                                                                                    最強を誇った男が早々に逝き、今を必死に生きた男は今だにハッスルのオペラに出
                                                                                    演している。そして天龍は今日もトレーニングを続けている、全盛期のあのジャン
                                                                                    ボ鶴田と渡り合った男はそう簡単には潰れない、そんな矜持と共に。
                                                                                    「あのジャンボが真っ向から向かい合ってくれたのが俺の一番の財産だと思ってる
                                                                                    し、ジャンボが怪物って言われ始めたのは俺が真っ向からぶつかったからだって自
                                                                                    負してる。俺たちの時代ってあったのかな?あったよね、確実にあったはずだよ
                                                                                    ね。」天龍が涙目でそう語ったその日5.19は、最強のプロレスラー・ジャンボ鶴田                        
                                                                                    の密葬当日だった。全日本プロレスから今だ裏切り者のレッテルを貼られた自分は会場に行けない。かつてのパートナー、ライバル、憧れ、そしてかけがえのない友。最後の別れの挨拶が出来ないもどかしさに天龍はボトルをカラにし続けた。「ジャンボ!勝ち逃げしやがって、この野郎!」
【天龍源一郎編】阿修羅原 - ジャンボ鶴田 - ジャイアント馬場 - 川田利明 - 冬木弘道 - 越中詩郎 
 - 田中八郎 - ハッスル  【長州力編】アニマル浜口 - 藤波辰彌 - 佐々木健介 【UWF編】43B0761D-D8F8-42AA-918C-E311C7BF1A7B.htmlB0628C3D-96AD-46EF-A470-0EA3CC4DBD0F.html43B0761D-D8F8-42AA-918C-E311C7BF1A7B.htmlshapeimage_4_link_0shapeimage_4_link_1shapeimage_4_link_2shapeimage_4_link_3