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  論考/提言/元外資系SEとしての視点



日本コンピュータ業界のグローバル化を阻害したItanium.技術評価の重要さ

- IBM100周年のブロガーミーティングで大失敗.懺悔とフォローのためのコラム -4

2012年01月24日記述


 去りゆく2011年の終わりに、何かを書き残さないと、という思いだけはあったのですが、モタモタしている間に、大晦日になってしまい、そして正月の季節も終えて、なんと一月も終わりです。
通常は、年初には、来たりくる2012年に向った、抱負なり展望を書いていた筈なのですが・・・
ということで、このブログは去りゆく年の締めと、来たるべき年への展望を、纏めて書いてしまう羽目に成りました。
小さな、勝手サイトでも、折角覗いて頂ける読者の皆様に何か残せるものを、と、老体に鞭を打っていますが、生来の遊び人の本領が終に頭をもたげ、遊び心に気が散って少しも筆が進みません。
本当に申し訳ありません。

さて、2012年は新しい暦の始まり.そして日本IT業界のItaniumとの真摯な対峙の始まり

 それにしても2011年は、大変な年でした。大波乱でしたね。
とにかく、想定の有無は別にして、いろんな現実を乗り越えて行かなければなりません。
そして、くだんの2012年がスタートしました。
2012年はマヤ暦の約5125年の終わる年だそうですね。
 もうすっかり色あせてしまいましたが、グラハム・ハンコックの世界的なベストセラー、神々の指紋が指摘していた、地球がお終いになる年です。
神々の指紋』は、1996年 に日本でも大ベストセラーになり、小生も軽いノリで自分のプリゼンに流用していました。図1

 小生は、1992年ごろから、IT動向のエバンジリストとして、内外で喋りまくっていました。
そこでは、そのころ嵌まっていた”IT 15年メジャー周期説”に沿ったシステム動向をぶっていました。
こんな占い師めいたことに熱心になっていた本当の動機は、ダウンサイジングで深く痛手を被った、IBMとお客さまシステム部門の復権のための、理論的な自信と真実の、根拠が欲しかったのです。
ということで、予言(?)は、ダウンサイジングの波がリバウンドして、より大きなサイズでの統合に向うだろうという構図でした。 比喩がよくありませんが、引き潮の後の大きな津波のようなものです。
ちなみに予言とは、神からの信託を伝えることを意味するらしいですが、ある意味、神々の指紋ですね。それを真摯に発見する作業になります。Discoveryです。

 1996年ごろには、IBMの戦略の中心であったネットワーク・コンピューティング(後にeビジネス)も、インターネットの勃興に乗った形で、その戦略がフトウェア主導ではっきりし、2010年ごろには周期的にも、大型プラットフォームによる統合化のピークを向えることは予想出来ていました。
 話しがそれますが、講演の中では、聴衆の方から、「解った。ではその先はどうなるのだ?」、という質問を受けることが多々ありました。
その時には、グラハム・ハンコックの予言を取り出して、「2012年には世界がなくなるので、その先のITの予想は意味がありません」、と答えていたものです。
プレゼンでは、”バーン”っという音付きで、黒い囲みで2012年以降の図を覆って、少しビックリさせたりもしていました。
もっとも、完全な ”オヤジギャグ”で、小生の品格を落とすだけの効果でした。
その後、JavaやLinuxの予言(?)を的中させ、プライベート・クラウドの勃興も、まぁぁ、当たったようです。
昨今で使っているプリゼン用のステム動向図を図2に示します。

 さて、今年の冒頭言は少々生臭いものになってしまいました。
何故2012年が、日本IT業界のItaniumとの真摯な対峙の始まりなのか

 今さらItaniumを改めてまな板に載せたところで、という思いは強いのですが、愚かな年寄り、
ドン・キホーテのIT熱も冷めかかり、気力も萎えてきた昨今、Steve Jobsの ”Stay Foolish " の気合に背中を押された形で、自分に活を入れるつもりで、クラウド時代を乗り切るためのプロセッサー論を年初から展開することにしました。
読者によっては、この論考に激しく反論したい点も多々あるとは思いますが、其々の立場で、クラウド時代の基盤となるサーバー選択のための、コンピュータ事業の歴史的な背景を俯瞰していただければ幸いです。

 既にラマンチャ通信で繰り返し主張してきたとおり、WS-IやSOAの不発をトリガーとして、
今、企業システムが大きく変わろうとしています
それは、IT企業がビジョンを語り、ユーザー企業がそれに追随する、伝統的なイノベーションの方法から、ユーザー自身が自社のITアーキテクチャを主導していく、クラウド時代への脱皮です。

従来、オンプレミスでITのコンポーネントを組み上げ、自社システムを、ある意味、鎖国的に組み上げることが出来た時代から、否応のない、急展開するグローバルなインフラを前提に、自社システムを柔軟に適応させていく、いわばITの大航海時代の航海術のようなものになるのでしょう。

 クラウド時代では、インフラと一体化していくクラウド・プラットフォームと、IaaS, PaaS, SaaS で代表される、ユーザー固有のクラウド・サービス展開の、上手な組み合わせ、IT統合になるでしょう。
その文脈で、クラウド・プラットフォームで利活用されるマイクロプロセッサーの見極めは、これからの企業システム構築の死活問題になるでしょう。 全てのIT関係者にとっての課題になると思います。
当面、クラウドの根幹になる仮想化技術には、多様なマイクロプロセッサーの組み合わせのエミュレーションを柔軟にこなす技術は、未だ出来てこないと考えられるからです。
 企業システムはミッションクリティカルが当たり前ですから、x86だけでは全てのシステムは組めないので、名称はともかく、機能としてのクラウドフレームの選択が、2012年以降のシステム選択の、大きな関門になるはずです。図3
クラウドフレームとは、クラウド時代におけるミッションクリティカル・プラットフォームを類別するために名付けた小生の提言です。
小生は、IBM zEnterpriseがそのクラウドフレーム種の第一号だと、ラマンチャ通信で書きました。
2011年09月07日
zEnterpriseの実体.IBMメーンフレームはクラウドフレーム時代へ

2012年は、IBM POWERの超スケーラブルなpureScaleが実稼働を始めるでしょうから、クラウドフレームの仲間入りは確実です。
さらにスパコン京で実証された富士通のSPARCプロセッサーも、対象になると思われます。
ではItaniumはどうか? HPのプロジェクトOdyssey はクラウドフレームの仲間入りをするのでしょうか。

ということで、2012年は改めて、基幹系マイクロプロセッサー選択の年になると考えられます。

 「OracleがIntelのプロセッサItanium向けのソフトウェア開発を打ち切るのは違法だ」として、 HPがOracleを提訴し、マーケトが揺れる現状で、Itaniumと対峙しろ、という論考は時期を得たものではない、というのが常識でしょう。 紛争中の一方に肩入れすることになりかねない危うさですね。
そして、小生が日本IBMの元SEであり、小生の主張を、決して白紙の議論とは受け取ってくれない色合いの限界も見え見えです
しかし、過去、この日本IT業界の中でたった一人で Itanium採用の打ち切りを内外に訴えて続けてきた技術者として、日本ITの新しい時代への幕開けのためにも、今こそけじめは必要だと考え、敢えて書くことにしました。
グローバル時代への出発で、もう二度と、移行の繰り返しなどの、時間の浪費は許されません。
グローバルなスケールにおける、真にサステイナブルなプラットフォームの選択が必須です。
その意味で、当ブログでは Itaniumの総括を試みます。
物議をかもすかもしれません。


如何にしてItanium が(世界の)コンピュータ業界を殺害したか
 唐突で物騒な言い回しで恐縮ですが、これは以下のブログを直訳したものです。図4
John C. Dvorak, How the Itanium Killed the Computer Industry, 1/26/2009, PCMag

 筆者のJohn C. Dvorakは、癖はあるものの, PCMAG (PC Magazine)のコラムニストで、高名な方です。
ですから、この論評は決してまがいものでは無く、ある意味、業界の常識を表しています。
 
 今でこそ、Steve JobsのリーダーシップやGoogleやFacebookの若い企業群の勃興で、IT産業の評価も揚がってきていますが、これが書かれた2009年初頭以前のIT業界は惨憺たるもので、イノベーションの掛け声は叫ばれるけれども、業界は永らく完全な沈滞モードに入っていました。
例えばガートナー・グループなどからも、業界に対する同じような警鐘とも嘆きともとれる声が溢れていたのです。そんな時代への告発でもあります。
筆者のJohn C. Dvorakは、”コンピュータ業界”という括りで、2000年のインターネット・バブル崩壊をも含んだ形で、1997年のIA-64の発表を、この50年間での最大の失敗の一つだと断jじ、この大停滞の主犯として、”Itaniumの発表”を論じています。

IA-64というのは、当時既にPC業界を制覇していたマイクロプロセッサーx86(2086, 3086などの総称)のアーキテクチャ、IA-32 (Intel Architecture 32 bit)、に対応する、Intel Architectureの64bit版アーキテクチャの名称です。その後このアーキテクチャを実装したIntelの製品名がItanium, Itanium2です。

 IA-64という大言壮語(?)のプロセッサーの発表を大きな衝撃と業界が受け取り、その後のいろんな形の統合が、コンピュータ業界のイノベーションの機会を完全に奪ってしまった、という告発です。
”I witnessed this in real time, in person, and I've never seen anything like it before or since.”

この大失態は、当時、PC時代の勃興と共にプロセッサー・ビジネスの頂点に達していた”神”Intelの、”当時もその後も、業界に存在する全てのマイクロプロセッサーをIA-64が飲み込む”、というご託宣で始まりました。神がコミットしたのです。
 全てのOSのサポートや、主要プロセッサーのエミュレーションを疑似仮想化で受け、信じられない程の性能を発揮する、という謳い文句でした。

この”神”Intelのご託宣を、お金の面で強力に支持したのが、リサーチ会社のIDCです。
今でいう、国をも滅ぼす金融格付け会社の大親分以上の影響力がありました。今も健在です。
IDCは、この1997年の”IA-64の発表”と同期して、Itanium(製品)がマイクロプロセッサー業界を制覇し、その売り上げが2001年に38B$に達するだろう、と予言しました。ビジネスのほぼ全部を取ってしまうだろうと。
この発表で、当時20$前後だったIntelの株価が、2001年には100$まで暴騰したそうです。

 このIDCの発表は、全くの”張ったり”であったことは、その後実証されます。
このあたりの事情を的確に表した図5が、あまりにも有名な”IDC Itanium Forecast”の図です。2001年の38B$の予測が、市場の実績が随時反映されるに従い、毎年、どんどん下方修正されて行くことになります。

この”Itaniumの発表”の威力は凄まじく、壮絶なインパクトをIT業界に与えました。
コンピュータ業界の”花”であり”主役”であった技術、マイクロプロセッサーへの関心が、企業家からも、技術者からも急速に失せていくことになってしまいました。
何しろ、全てがItaniumに飲み込まれてしまうのですから、プロセッサー技術の工夫や競争、多様化は、無意味になるというコンセンサスが、業界のマインドシェアを急速に支配してしまいました。
結果として、DECとTandemはCompaqに買収され、さらにCompaqを買収したHPは、その傘下に手に入れた業界リーダー技術のマイクロプロセッサー、DEC Alpha, MIPS、PA-RISCの全てを捨ててItaniumに統合してしまいました。
IBMにおいても、Unix事業の軸足をIA-64に移す、Project Montereyを1998年10月に発表しました。

とにかく、1997年から2001年にかけて、コンピュータ業界がこぞって、Itanium導入の準備に追われてしまうことになりました。そして結果として、IT業界はイノベーションの機会を逃したのです。

この辺の事情を端的に表しているのが、図6です。
図6は、用語、"Microprocessor" と "Itanium" の、USに於ける、Gogle検索人気度の傾向図です。
Googleは2004年度からしか統計データがありませんが、図よりあきらかなのは、"Microprocessor" の急激な人気度の降下と用語"Itanium"の"Microprocessor"に占める大きな割合と強い相関です。
残念ながら1997-2001年のデータがありませんが、きっと激しい変動があったにちがいありません。
あろうことか、コンピュータの心臓であるべきプロセッサーへの関心がIT業界から無くなってしまった


2004年、世界はItanium神話の大崩壊へ

 この流れに技術者の良心として、否、技術者の怒りとして敢然と挑戦したのが、2人のIBM Fellowでした。
Martin HopkinsRich Oehlerの2人組です。
彼らは、あのRISCの発端であるIBM 801プロセッサー創発5人衆のうちの2人です。
彼らがIBM社内だけでなくIT業界を駆け回り、終にIntelからx86-64bitの発表を引き出します。
勿論、AMDが表の主役だったことは論を待ちません。
2004年、Intel x86プロセッサーが64bitをサポートするに及んで、IA-64の基本構想は崩壊しました

 この辺の暗闘というか、業界の動きを、類推も加えながら、以下のブログに詳しく書きました。
2010年8月29日
x86-64bit誕生の背景に探る、技術者の戦略的な政治力とは何か -1
2010年9月16日
技術戦略成功のための2枚腰. 市場創出と競合技術淘汰の合わせ技.
x86-64bit誕生の背景に探る、技術者の戦略的な政治力とは何か -2

 話しが脱線しますが、1998年10月のIBM科学アカデミーのナイト・セッションで、IA-64に関する技術討論会がありました。小生もこのセッションに参加していました。
時差の関係もあって、夜10時から始まったセッションは兎に角猛烈に眠かったのを覚えています。
しかしその眠気を吹き飛ばす強烈な印象を小生に与えたのは、IBMのRISC開発のコンパイラー系第一人者、Martin Hopkinsの大演説でした。
"IA-64のようなアーキテクチャは、絶対に成功しない。そんな、神をも恐れない思いあがった考え方は、必ず大きな罰を受けるだろう!”、と、あたりかまわず怒鳴りまくっていました。

 この予言(?)が最初に的中したのが、Itaniumが市場投入された2001年のことでした。
これはIntel 独自の作品で、コドネームがMercedと呼ばれ、開発が遅れに遅れていた革新のアーキテクチャ、IA-64が、始めて実製品として世に姿を表したのです。
しかし、このMercedは性能的には全くの期待外れの製品で、IT業界では、一気にIA-64への疑問が噴出してしまいました。
図7に示すように、IT業界が待ちに待ったスーパースターが、惨憺たる性能でデビューしたのです。

 その後の、コンピュータ業界の歴史に刻み込まれるであろう、IA-64の永い苦難の道のりの、最初の難関を乗り越えたのが、翌2002年に発表された製品名称Itanium2です。
名前を変えての再デビューです。
Itanium2はコドネームをMcKinleyといい、HPの作品でした。製品・製造はIntelです。
L3キャッシュなどを実装し、性能もまぁまぁの出来で、IA-64が一気に沈没するのを防ぎ、将来への期待をかなり取り戻すことができました。

 一方で、世の中の出来事は、好事魔多しですね。
Itanium2が世に出るに及んで、このIA-64アーキテクチャが、HP肝いりの、否、HPのPA-RISCの後継プロセッサーの役割りを強く埋め込まれた技術であることが、はっきりしたのです。
これがきっかけで、IBMはこれを脅威と受け取り、それまではMartin HopkinsRich Oehlerの騒ぎを適当に眺めていたのが、本気になってItanium潰しに動くことを決めたように見えます。
それが、2004年の、Intel x86プロセッサー64bitサポート発表の背景なのでしょう。
x86-64bitの導入で、Intelにとって、IA-64を積極的に推進する理由が雲散霧消してしまいました。
その後、IntelのItaniumへの新技術の投入は遅れに遅れ、デコミットの山を築くことになります。

 このへんの事情をつぶさに観察してみると、IntelのItaniumに対する本気度が、Itanium出荷の時点で、既に甚だ疑わしいことに気付きます。
x86エミュレーションの方法と、HPのPA-RISCのエミュレーションの実装の違いに現れています。

 IA-64構想の誕生は、1993年11月、当時のHP CEO、Lew Plattが、Intel の神様Andy Grove に、新しい64bit 構想を持ちかけたことに始まるとされています。
翌年の1994年、両者の共同開発が正式に発表されました。
 John C. Dvorak の意見では、Andy Grove が、当時既に華々しくデビューしていた、AIM (Apple IBM Motorola) のPowerPCを強く意識していたのだろう、ということです。
AIMは1991年に同盟が結成され、1993年暮れにはPowerPC 601が業界の喝采を受けていました。
PowerPC 601とPentiumのスペックを比較すると、RISCのPowerPCの優位性が際立っていました。図8
そこで、Andy Grove がRISCを遥かに凌駕するVLIWのIA-64の構想に乗ったのだと考えられます。
しかし2001年には既にPowerPCはIntelの前に大きく敗北しており、Intelが虎の子のx86アーキテクチャを捨てる理由は、全く無くなっていました。

 この辺の事情を明快に著しているのが、図9のMICROPROCESSORのレポートです.
Peter N. Glaskowsky, MPF2003: FUNERAL OR CELEBRATION?, Microprocessor Report,10/27/2003
現在は逼塞してしまいましたが、当時のMICROPROCESSOR レポートは技術の金字塔のような権威を持っていました。
レポートは言います。「マイクロプロセッサーは(Itaniumの出現によって)死んでしまったのか?、否、決してそんなことにはならない.」
そして筆者自身の裏話として次のように書いています。
”It is not apparent to me that Intel has proven the need for IA-64, or that all of today’s server customers could ever be switched over to Itanium processors. During lunch at MPF, I heard an anecdote from an engineer at a major OEM currently building Xeon servers for its proprietary online
transaction-processing software. This engineer said that his company tested and rejected Itanium because the x86-specific optimizations in its software imposed terrible performance penalties on a simple IA-64 translation. Itanium gave them one-fifth the performance at four times the cost. No doubt this result could be drastically improved with some effort, but why bother, he asked? "
さらに、既に発表されていたAMD64を受けて、Intel自身がx86-64bitに踏み込むことの理を述べています。
そしてIT業界では、翌年2004年の、Intelによる x86王政復古のメッセージが続きます。

この辺の事情は、後藤弘茂さんのWeekly海外ニュースに詳しい。
"いよいよYamhillのベールをはぐIntel"、PC Watch、2004年1月29日
"ついにYamhillを公式に認めたIntel"、PC Watch、2004年1月30日
"YamhillとAMD64の互換性"、PC Watch、2004年2月2日


IA-64は失敗か、それとも学ぶべきレッスンなのか?

 2004年3月、IBMはアルマデン研究所で、「2010年のプロセッサー・デザイン・ワークショップ」を開きました。
このワークショップのオープニング・スピーチで、University of California at Berkeleyの有名教授、
David A. Patterson が、我々参加者に向かってさらりと述べました。
IA-64 joins IAPX-432 in the Dead Computer Society”

このように、2004年の米国において既に、”Itaniumは失敗作だった”との評価が定着していました。
そして2008年には、終に、図10に示すように、IA-64は明らかに失敗作であり、何を学ぶべきか、という将来への教訓のプロセッサー論考で締めくくられることになりました。
Max Baron, VLIW: FAILURE OR LESSON?, Microprocessor Report, 6/30/2008

ちなみに図10におけるVLIW (Very Long Instruction Word) はIA-64の基幹となるアーキテクチャで、Intel/HP はEPIC(Explicitly Parallel Instruction Computer)と命名しています。

 一方で、ここに至ってもなお、Itanium支持者や、Intel, HP は強気な発言を続けています。
「ミッションクリティカルなハイエンド・サーバーは、オープンなItaniumが一番適している」、と。
ここでは、Intelが作っているからオープンなのだ、というのが唯一の論理的根拠でしたが、Itanium 出生の一つの大きな動機として、AMDなどの互換プロセッサー排斥の意図を強く持った、IP(Intellectual Property) 独占のための第三者会社、IDEA (Institute for the Development of Emerging Architectures) 設立が重要施策の一つであったことを振り返ると、可笑しな主張です。
しかしこの強気の発言の背景には、Itanium の市場でのある程度の成功があります
皮肉なことに、世界のIT業界のItanium 熱が冷め始めた2004年頃から、急激にItanium の市場シェアが大きく伸びていきます。これは、HPのハイエンドサーバーの移行ビジネスが順調に進んだことと、Itanium の日本での大きな成功が寄与しています。

 さて、HPのサーバー移行ビジネスが一巡してしまったこれからはどうでしょうか。
もともと、サーバー・メーカーとしてSUNとDellはサポートしていませんでしたし、IBM, Unisys, 富士通も撤退しています。(HP製品のOEMも含めた)NECと日立、そしてSGIの姿勢が今もはっきりしませんが、Itaniumサーバーのマーケット・シェアの90%以上がHP製であるという事実から、Itanium は HPサーバーに使われている、一つのプロセッサーである、という事実が顕在化してしまいました。
ソフトウェアを見るともっと明快で、先ずOSや仮想化ソフトウェアでは、マイクロソフトWindows、Red HatのLinux, IBMのAIX, SUNのSolaris、VMware、Microsoft Azule、そしてミドルウェアのOracleやIBMのサポートが打ち切られている現状で、オープンの主張は虚しいものとなってしまいました。
つまりItanium はHP-UXの専用プロセッサーという位置づけです。


 いずれにしても、IA-64の革新的なアーキテクチャは実証されませんでした。
たとえこれからPoulsonKittsonが市場導入されたとしても、1997年に華々しく喧伝された、画期的な性能が達成されるなどとは、もう誰も期待していないでしょう。

結局、この性能の未達がItanium の最大の課題でした。並みの性能では、許されない運命にあります。

「単純なHW演算機構を潤沢に準備して、これをVLIWを強化したEPICのバンドルに詰め込んだ複数の命令群で並列処理し、前代未聞のILP (Instruction Level Parallelism)を達成する。
前代未聞のILPは、賢いコンパイラーで実現する。
仮に今、未だ性能が出なくても、いずれコンパイラーがより賢くなれば、必ず実現出来る。」
というのが、Intel/HPの主張でした。

これが画餅にすぎないことを示すアーキテクチャの検証は残念ながらどこからも漏れ出てきませんが、Itanium アーキテクチャの実際の動作がどのようなものかを垣間見ることが出来る、貴重なレポートも存在しています。
Don Alpert, ITANIUM PROCESSOR STATUS REPORT, Microprocessor Report, 7/28/2003

そこで語られているのは、 "If Conversion" と呼ばれる、EPIC独特のPredicationの事実上の失敗です。
Predicationは、RISCなど既存プロセッサーの最大の課題であるブランチ予測などの投機実行の限界を克服し、コンパイラーによる並列処理実現を支えるIA-64の中心的なアーキテクチャでした。
ブランチ命令は、約30%という命令頻度以上の大きなインパクトでプロセッサー総合性能を決定づけます。
この投機実行の実効性能を、"If Conversion"のアーキテクチャで、大幅に向上するのがIA-64の約束でした。
しかし図11で示されているのは、コンパイラーがPredicationの効果を殆ど吐き出せていない事実です。

 EPICという、自称、革命的なISA(Instruction Set Architecture) による高性能マイクロプロセッサーの実現は、そのISAの構造上の極端な複雑さ故に、IBMなどが次々と導入していったマルチコア、マルチスレッドなどの高性能化技術の導入で大幅に遅れ、性能競争から脱落していきました。
このあたりの時間軸上の展開を、図12に示します。
 IBMは最近、スパコンBlueGene/QのPowerATチップに、Transactional Memoryを導入しました。
Itaniumについては、VLIWからの脱皮の噂も絶えません。
2011年09月22日
IBMのHWの新たな挑戦.Blue Gene/Qで業界初のTransactional Memoryを導入
これからは、IBM POWER8がどんな新機軸を打ち出すのか、そしてItaniumのPoulsonやKittsonがどれ程の革新を行えるのか、興味深いですね。

(下に続きます)
  図1.中島が1996年ごろ使っていたシステム動向図

   図2.昨今使っているシステム動向図

図6.Google検索人気度に見るマイクロプロセッサー衰退図3.クラウド時代のミッションクルティカル・プラットフォーム図4.如何にしてItanium が(世界の)コンピュータ業界を殺害したか図5.更新される度に下方修正され続けたIDC Itanium Forecast

 図7.IA-64の最初のプロセッサー、Mercedの性能図8.IBM PowerPC 601とIntel Pentiumのスペック比較   図9.マイクロプロセッサーは葬式か祝賀会か?

   図10 IA-64は失敗かそれともレッスンか?

    図11.Itaniumの実行命令トレースの解析例

   
 
      
              

               図12.マイクロプロセッサー高速化技術導入のタイミングにおける、ItaniumとPOWERの比較

 
 
日本コンピュータ業界のグローバル化を阻害したItanium
 以上世界におけるItanium の窮状を見てきましたが、日本のIT業界では逆に破格の成功を収めました。
つい最近のIDCデータでは、IBM POWERが首位についたようですが、継続的に、日本のハイエンドUnixサーバー市場の覇者として君臨してきました。
これはひとえに日本HPのビジネスと技術力の賜物に違いありませんが、一方で日本IBMのメーンフレームzへの拘りに負うところも大きかったようです。何故なら、世界の市場では以前から、IBM POWERが市場一位の座を占め続けているからです。米国ではUnix市場の50%レベルの高いシェアを維持しています。
そしてさらに特筆すべき点は、日本コンピュータ業界こぞってのItaniumへの肝いりがあります。
図13は、2005年9月27日の日本側 Itanium Solutions Alliance 発起会に結集した、日本コンピュータ業界の方々の自信に満ちた表情です。

 これまでの論考でみてきたように、2004年には、世界のItanium神話が崩壊し始めていました。
ところが、日本のIT業界は、このころから逆にItaniumに大きくのめり込んで行くことになります。
この辺の、グローバルと日本ITとの意識の大きなギャップを記したエビデンスがあります。
 
 日本の優れた技術者の英知を結集し、満を持して世界に打って出た製品が、Itanium をベースにしている、という理由だけで、大きく価値を損ねてしまった例です。
日立の技術の粋を尽くしたBladesymphony の評価が、その実力に比して、残念ながら海外ではあまり芳しくなく、あまり成功しなかった例ですね。
2006年のCNET記事の、”日立、ブレードサーバ「BladeSymphony」の新モデルを発表へ”、にこんな記述があります。
「しかし、Itanium搭載システムのみの特長という点に関して、あるアナリストは冷めた反応を示している。 「この製品で最大の売りとなる特徴は、ハードウェアに組み込まれた仮想化技術と、複数のブレードを連結させて大規模なSMPを構築する能力だが、当面はItanium搭載システムにしか提供されない。技術的には興味深いが、日立の本拠地である日本市場以外で大口顧客に販売するためには、この点が大きな障害となるだろう」と、IlluminataのアナリストGordon Haff氏は述べた。」
 日立オリジナルの技術は魅力的ではあるけれども、Itanium が素材では米国ではダメ、という記事です。
また、富士通が東京証券取引所の”arrowhead”に収めた「Primesoft Server」は素晴らしい出来だと思いますが、大きな欠点は、PRIMEQUESTの、Itanium プロセッサー上に展開されていたことです。
SPARCアーキテクチャに大きく舵を取ろうとしている富士通にとっては、大きな回り道をしてしまいました。
そして未来への警鐘として、中国がMIPSを継承し、Alphaをも引き継ごうとしている事実があります。
ILP、TLP、そしてアクセラレーターを含むHybridの時代に向けて、しっかりとした立ち位置が重要です。

小生はこのあたりの事情を、既にラマンチャ通信に書きました。
2010年4月08日
お古の技術で潰した世界進出のチャンス. 5年以上の無駄を乗り超えられるか


さらには、一向に改まらないItanium に対する業界の欺瞞的な態度が、これからのグローバル展開でのビジネスを大きく損ねることを危惧して、以下の警鐘も書きました。
2011年06月13日
ItaniumをRISCだと強弁.原発問題と並行して進む技術モラルのメルトダウン


ではどうするのか?

 それは老いたドン・キホーテの口の挟む余地はないでしょう。
小生がまだ現役時代、Itanium の採用を控えるようにと提言した大手のお客様から、出入り禁止を喰らったことがあります。それも複数のお客様からです。
「IBMを去っても、未だItanium に異を唱えるのか」、という罵声が聞こえてきそうですが、あの老いたIBM Fellow, Martin Hopkins の情熱と、Steve Jobsの ”Stay Foolish " の気合いに背を押されて、最後に4言。

Itaniumはグローバル・スタンダードではない
  結局、強く主張したオープン性は全く達成されず、逆に孤立してしまったプラットフォームである.
クラウド時代に乗り出すための、サステイナブルなプラットフォームとして、疑問がある
  結局、 実証されずに朽ちた(自称)革新アーキテクチャと、 全く示されない新時代への技術展望
本来意図されたItaniumへのモチベーションの消失と、ビジネスモデルの終焉


④ ”さらば、Itaniumよ、もう十分でしょう・・・・”


   図13.Itanium Solutions Alliamce